川崎フォトエッセイ  その22  日常風景    ←前 次→  ホーム


 その人の日常が違うように、その人にとっての日常風景も違う。

 その意味で一般的な日常風景なるものは存在しないのだが、日常着や普段着があるように、そういう雰囲気の風景や光景は存在する。

 異常な世界に飛び込んで、連日連夜、その生活が続いているとなると、それはもう、その人にとっては日常風景になるかもしれないが、それが普通の(?)日常風景だとは思っていないはずだ。

 慣れてしまい、その異常さに気づかなかったりする。そしてその人にとっての本来の日常が霞んでしまい、慣れの連続が日常になる。

 普通は「これが私の日常なのだ」と意識しながら日常生活を送っているわけではない。いつの間にかできあがってしまったパターンのようなものを踏んでいるだけで、違うものを踏んでしまうと、ちょと非日常感じるだけだ。

 ものすごく日常的な風景に出会っても、非日常を感じるような人とは、僕はつきあいたくない。相対的な逆転現象として捕らえるのが嫌なので。