川崎フォトエッセイ  その55  収穫    ←前 次→  HOME


 秋は収穫の季節である。でも住宅地の中の稲穂を見ていても、その実感がない。近くの人達は、毎月の給料日に現金収入があるからだ。

 その給料日も、銀行振込になってから、給料袋を開けて札束を数える実感が消えてしまった。

 手応えの質が変わってしまい「モロの現実」を体験するのではなく、数字とかメーターを見て、現実を確認することが多くなった。それでもその裏には確実に現実が走っているわけで、働かなければ数値も上がらない。 梅雨時田植えをして、実りの秋を迎えるというわかりやすい図式は、例え話に成りつつある。

 その現実が希薄になっても、その現実の意味は残り、他のことで置き換えられる。

 その種のパターンは、言葉をたどっていくとよく分かる。今はもう具体的な現実を指していないが、それに換わるものを指すことになるのだ。