川崎フォトエッセイ  その58  提灯    ←前 次→  HOME


 提灯という言葉は、何となく滑稽な雰囲気がある。おべっかを使う人を「提灯持ち」と呼んだりするが、足下を照らしてくれる人なので、いわば案内人だ。

 滑稽に感じるのは、中が空洞になっているためだ。「中身がない」のだが、中に何かが詰まっていたら、提灯にはならない。

「張りぼて」も、中身ではなく、表面で勝負している。立体物ではないが、凧などは、一枚物で最大の表面積を持たせている。

 中身がないと、軽薄そうに見えるが、そこに紋章とかを入れると、シンボル化され、滑稽なイメージは消える。時代劇で登場する御用提灯や、北町奉行所や京都所司代とか書かれた提灯などがそれだ。ただの表示なのだが、そこに頑とした現実の裏付けがある。

 提灯はもう祭りとか装飾とかでしか使われなくなった。懐中電灯やカンテラにはない提灯の柔らかさが恋しい。木と紙の家に住んだ長い伝統が、それをまだ求めているように思えてならない。