川崎フォトエッセイ  その60  禁煙    ←前 次→  HOME


 喫煙のと書かれた文字を見る機会が多くなったが、煙草の自販機を見かける機会も多くなった。本来なら減る一方のはずなのに。

 昔は駅のプラットホームと言えば、構内が煙るほど煙草の煙がたちこめていた。子供心に、そんなものかと見ていた記憶がある。 それは工場の煙突から黒煙が上っている風景とも重なる。僕は昔「ゴジラの最後」という漫画を書いた。

 ゴジラが大阪湾から尼崎の工場地帯に上陸した直前、煤煙でコロリとダウンし、あっけない最後を向かえる話だった。

 同じものでも、時代によって意味が違ってくる。わかりきったことだが、意識的な進化だと思う。そのほうが生きやすいためである。

 自販機の珈琲も、昔は甘く、そして濃く、飲めたものではなかったが、甘さが押さえられ、マイルドになってきた。

 個人的な嗜好ではなく、他の人とかなり共通する嗜好になってしまうのは、個性云々の次元ではなく、生きやすい方を選択しているためかもしれない。