自分の影を自分で写してみた。太陽を背にすると、自分の影ができる。つまり「太陽で写されている」のである。その写されているものを、さらにカメラで写すことになる。
これは「写されているものを写す」という、ややこしい関係である。カメラにとってはそれは実像なのだが、それは「影という実像」で、言葉の意味からすると、影は実像ではないのだが、機械はその意味を知らない。
では、この場合の影に対する実像は何処にいるのかというと、シャッターを押しているのである。つまり実像が影を撮影しているのである。
この場合の影がまだしもわかりやすいのは、影に対する実像がはっきりしているためだ。ところが意味の世界での影は、実像が何処にあるのかわからない場合が多い。もしかすると実在していないこともある。幻想とか妄想とかの世界がそれである。