川崎フォトエッセイ  その202  仏顔    ←前 →次  HOME

 石は、石だけを見ていても飽きないが、石を加工した石仏は、仏様なので、もう、石ではないようだ。

 市街地近くにあるお寺の裏の墓地とかに行くと、名もない石仏が密集していたりする。市街地は物理的な機能を駆使した世界なのに対し、ここは精神的な世界だ。そして、これは太古から丁寧に掘り起こされ、磨き上げられた世界でもある。それについての詳細を知らなくても、いずれもそれなりの縁起を持っているのだろう。

 石仏を見るポイントは、やはり顔だろう。それが仏さんの顔であったとしても、人間の顔であることは確かで、人間の顔なら毎日見ているので、観賞しやすい。

 石仏の顔も、それが作られた時代の流行があるようだが、それを差し引いても、その顔に近い人がイメージとして浮かび上がる。

 石を加工した顔でも、人の顔であり、ましてや仏のお顔なので、簡単に触れられない。これはやはり、聖なるものを意識してしまうからだ。