僕の近所にある大きな屋敷の門は、滅多に開かない。中に住む人たちは、その横の小さな木戸から出入りしている。では、その大きな門は、何のためにあるのだろうか……と、思ってしまう。村の鎮守の秋祭りとかに、その門が開いていて、提灯がぶら下がっているのを見たことがあるので、特別な日用の門かもしれない。予備知識のない人間にはそう見える。
しかし観光地のお寺とかでは、大きな門は開いている。観光地ではない門は、閉まっている場合が多い。その中で暮らす人にとって、巨大な門の開閉は面倒くさいためだろうか。
門閥とか学閥とかの言葉があるぐらい、門は、それなりに重要なポイントだったはずだ。今でも日常的に「入門」という言葉を使っている。別に本物の門をくぐるわけではない。その意味で、門はアイデンティティに関わるような大切なシンボルのようだ。
「肉体の門」という映画タイトルを見て、その門戸が、どこを指しているのか、考えたものである。