川崎フォトエッセイ  その246  標識    ←前 →次  HOME

 古くなった道路標識を見ていると、その効力が、果たして生きているのかどうかと、ふと考えてしまうことがある。

 その標識が、全く度外視され、注意も喚起も与えなくなったとき、それは単なるお守り袋のお札に見えてくる。

 横断歩道のシマシマの道路標示が、水戸黄門の印籠ほどには機能していないことを、日常的に知っている。

 はっきりと取り締まりの対象となり、罰金となるようなスピード違反も、周囲の車の流れの中では、無視されることもある。

 標識は守るべきであるが、慣習的、またはタイミング的に、守りきれないのだ。

 市内全域駐車禁止とかになると、自動車で市街地に入り、店屋さんの前で車を止めて買い物をするなどの絵は、外国を舞台にしたCMの世界でしか存在しないだろう。

 道路標識を見るたびに、現実とのギャップを感じてしまう。