街中で、カラオケの看板は珍しいものではなくなった。どこにでもある風景になった。それだけ日常的な場所なのだ。ただ、僕の日常とはクロスしないが。
人により、日常が異なるため、ありふれた日常風景でも、クロスしない人にとっては日常外の景色となる。
しかし、その人がクロスしなくても、その前を通ったりすることで、その存在を認識する。また、会話の中で「カラオケ」なる言葉が日常的に使われているため、間接的にクロスしてしまうことになる。
自分にとっては日常的な場所でなくても、何となく身近なものとして捕らえてしまうようだ。
友達の友達は、僕にとっては友達ではないが、何となく身内の人間のように思えてしまうのと似ている。
行ったことのない場所でも、身近な人が出入りし、その話を何度も聞かされたりすると、身近な場所に思えてしまう。本当は決してそうではないのだが……。