神域は、日常の場にはない。日常の中に取り込んでいる場合もあるが、それは小さな祠や、お札とかで、場としての規模は小さい。それらは出張所や支局の窓口風である。
神社の境内は神域だが、イメージとしては、まだ日常を背負っている。日常の場に近い神社は、コンビニの袋を持ったまま通り過ぎることができるからだ。
聖域のイメージは、農民なら山であり、漁民なら海底にあるような雰囲気がある。つまり日常的に入り込めないような場所である。しかし深山にも高圧線の鉄塔は建ち、海底ケーブルが走る世の中では、聖域も興ざめしてしまう。
聖なるものは、必ずしも善なるものではない。善悪では計りきれない存在である。神域は文字通り、神の住む領域なのだが、これは日常の外でもある。分からないことや、伺いしれないことに対して、判断に困り、神域や聖域として、閉じこめているのかもしれない。