川崎フォトエッセイ  その256  蓋の下    ←前 →次  HOME

 マンホールの蓋があると、その下に何かの管が通っていたり、汚水槽とかが埋まっていると思ってしまう。蓋だけが路上に置かれていても、その下に何かあると信じてしまうだろう。

 普通に道を歩いていて、マンホールの蓋に気づかないこともある。見えているのだが、注視しないのだ。しかし雨で路面が滑りやすい時など、あの蓋に対して多少は意識的になる。つまりアスファルトよりも滑りやすい箇所のためだ。

 その場合でも、蓋が問題なのであって、その下のことは考えの外のままだ。道上を歩いているのだから、道の下のことなど、関係ないわけだ。

 しかし、このように実利的にばかりものと接しているわけではない。雨に濡れて光沢を増したたマンホールの蓋に、美意識を見いだしたりすこともある。そういうものを感じる楽しさは、任意の実利的な意味はないものの、生きているという、もっとおおざっぱな意味合いがあり、これは、それなりに充実感を味わえる。

 地下に埋まった管は見えないが、機能しているように、これと似た意識が、僕らにもある。