いつもの散歩コースでも、ちょっと枝道に踏み込むと、そこはもう未踏の大陸(大げさ)になる。
いつもの道が安全なのは、これまで別段何もなかったからだ。だから今日通っても、大した変化はないと予測できる。ところが、初めて足を踏み入れた場所は、何が起こるか予測できない。犬が吠えかかってくるかもしれないし、蛇が横断しているかもしれない。また、そこは道だと思っていたら、人の家の庭かもしれないのだ。
その緊張感は、散策的散歩の醍醐味だが、それを求めていない場合は、刺激的すぎて落ち着かない。つまり気が散るのだ。
待てよ、散歩とは元々気晴らしのために歩くような感じだではなかったのか、と、考えてしまうが、刺激物が多いと、本気で散策し始め、日常の外に出てしまい、イベントになってしまうのだ。
散歩中、風景を見ているようでも、実際には、他のことを考えている。