川崎フォトエッセイ  その331  泳ぐ視線    ←前 →次  HOME

 夢の中の映像は、実際にあった場所が再現されているにしても、印象がかなり違う。それは、その夢のストーリー内での映像のため、監督が違うためだろうか。

 同じように、実際に存在する場所でも、そこへ足を運んだストーリーによって、見え方も異なってくる。

 一度しか行ったことのない場所は、そのときの印象だけが記憶されるとすれば、幾通りもの記憶が存在することになる。そして、その一つだけを持ち帰ることになる。

 現実の時間は、一度しかない。同じ場所でも、二回目は印象が薄れたり、時には、既知のこととして見もしないこともある。

 古い写真を見ていると、実際にその場にいながら見落としている箇所がたくさんあることに気づく。それは写真を鑑賞するという場が、観察に集中させてくれるためだろう。

 実際の場は立体的で、その空間内に観察者も巻き込まれているため、視線も泳いでいるのだろう。