自分が存在していることは、考えなくても、思わなくても事実だ。その根拠を詮索していくと、日常レベルから離れてしまう。 「自分が在る」とは普段は考えない。在ることはわかりきっているからだ。問題はその在り方かもしれない。
単純なほど自分の在り方は確認しやすい。単純なだけに、わかりやすいが「自分の存在」が世間的に問題になっているとき、単純な在り方では答えにならない。
「歩道に立っている私」は、確かに在り方としては問題は何もない。そこに立っていることが、たとえば交通事故とかの事件に巻き込まれたりしないかぎり、誰も問題にしないだろう。
この単純な在り方はベースであり、ここが狂うと、もっと高度な関係での在り方まで狂ってしまう。
単純な在り方は「ああ、自分はここにいる」と、たまに確認できればそれでいい。