川崎フォトエッセイ  その338  水洗    ←前 →次  HOME

 田畑が広がる場所には、肥溜めがあった。あぜ道とかを走っていて、うっかりはまったりしたものだ。

 その肥溜めの中身は便所から汲み取られたものだった。農家の人が、汲みに来ていたのを子供のころ覚えている。それがいつの間にか、市の車が来るようになり、今では水洗となり、もう田畑の肥料として使うようなことは、近所ではなくなった。

 たまに水洗便所がつまったりすると、トイレから汚水槽まで繋がっているパイプの存在に気づいたりする。それらは地下に埋められており、汚水槽で一度プールされるようだ。

 それらは普段目に触れない場所にあり、何となく隠されているような感じがある。今、昔の便所にはいると、さすがにカルチャーショックを覚える。子供のころはそれが当たり前だったのだが、習慣とは恐ろしい。

 便所の匂いは、そのまま自分自身の匂いでもあり、家族の匂いでもあった。今それはすべて水に流れている。