川崎フォトエッセイ  その348  専念しない    ←前 →次  HOME

 生活を感じさせない場所は、何らかのものを特出させるための効率として、日常的なものを省略しているのだろう。

 たとえばオフィスに、ホームゴタツや洋服ダンスとかがあると「この会社、だいじょうぶだろうか」と心配する。

 それは、ある機能に専念する姿勢が散漫になるためだ。

 オフィスを訪れる者も、そこで暮らそうとは思わない。訪問者も日常の中の、何か一点だけを目的として来るわけで、余計なものは必要ではないのだ。

 日常的生活風景が散漫なのは、生活の幅が非常に広く、何かに特化した風景ではないからだ。

 仕事はわりきれるが、生活はわりきれない。生活の中に仕事があるのだが、仕事がなくなれば生活を維持できなくなり、変化してしまう。それでも生活は消すわけにはいかない。

「人が生きている」という単純な景観は、文字通り生きている限り続くのだ。