川崎フォトエッセイ  その351  アウトライン    ←前 →次  HOME

 人との距離が遠すぎると風景の一部になってしまう。写真は平面的なので、人の気配が伝わらない。実際にはいくら遠くに見えている人でも、それが人である限り岩や草とは違う存在として迫ってくるものだが……。

 その遠くの人が知人である場合、顔は小さくしか見えなくても、どんな顔なのかはよく分かる。これは見えているのではなく知っているだけのことなのだが。

 全く知らない人の場合でも、こちらから見えていると言うことは相手からも見えているわけなので、視線を交わすことができる。それは人と人との交流になるため、互いに人としての人格や状態を意識してしまう。

 人に意識的になるのは、自分も人だからで、人としての生理が分かるためかもしれない。

 他人のまなざしを受けてこそ、自分という存在が理解できる。その理解は、本当に分かっているという意味ではなく、どんなアウトラインで今いるのか程度ではあるが。