川崎フォトエッセイ  その354  野生    ←前 →次  HOME

 人は社会の中で暮らす限り、野性的衝動を抑えないといけない。日常的には自動制御装置が働いて、行動に移すことは少ないが、末端的な事柄では結構野性は発動されている。

 末端的とは、その上にあまり影響力を与えない事柄で、野性に走っても社会性が損なわれることがない場合だ。

 逆に野性の動物が人間社会と関わると、その野性を抑えなくてはならなくなる。なぜならエサを貰えなくなるからだ。

 管理された社会の中では、人は野性に憧れる。野性とは身体的な欲望や生理をそのままダイレクトに実行してしまうことだ。

 だが、野性に走ると社会生活や日常生活を損なわれることを知っているので、損なことはしない。これが人間の持つ姑息な知恵なのだ。知識というものも、それに準じるかもしれない。

 人もベースは動物である。動物性がいっさい消失いるのなら、素直に聞き取ることもできるが、語っている知恵者も動物であることを、聞く側も知っているため、どうも生臭くなる。