川崎フォトエッセイ  その370      ←前 →次  HOME

 光を浴びた物体は、なぜか神々しい。写真の中に神様がいるとすれば、それは光だろう。光がなければ何も始まらないからだ。

 露出計は、光を計り、シャッタースピードまたは絞り値で調整して、その光をあるバランスで取り込む。  露出計は神(光)を計る計測器と言うことになるが、取り込まれた光は、もう神ではない。洒落ではないが、紙の上に再現されれば、それはただの紙になる。

 その意味で、写真で写してしまうと、神ははもういなくなる。

 日本人が感じている神は、自然に近く、何かのほほんとしている。神が人間に絡んでくる現象も、人と大自然との関係に近い。そして、名前のある神様も、根本的にはそれは嘘であることを知っている。その神様の元になっているものが、大自然なら、名前など、符丁のようなものなのだ。

 都心部に住んでいると、神様などは滅多に出てこない。それは、西洋式の建物が建ちだしたのは最近なので、神の名前を付ける人がいないためだろう。