少し前の時代を覗いてみると大人達がいた痕跡を発見することができる。その「大人達」は印象としては重々しく、そしてしっかりとしている。
今の時代は、機能的で、軽快で、快適なのだが、何か軽はずみな感じがする。それは、本瓦に似せた合成樹脂の屋根瓦とかを見てしまうためかもしれない。
形だけ似せたものが、町中至る所にある。それらは決してイミテーションではないのだが、なぜか軽々しい。機能的には優れていても、置き換えられる前の物の存在が、やはり思い出されるため、比べてしまうのだ。
昔の物はよかったと言い出すと、今が不幸になる。昔とは事情が違うので、よかったものだけを取り上げるのは不公平かもしれない。
さらに、昔の物作りを誉めても、今自分がそれができるのかといえば、とうていできない話となる。なぜなら、この時代を生きているかぎり、逆に不自然な行為になるからだ。