川崎フォトエッセイ  その381  大型ゴミ    ←前 →次  HOME

 かなり大きなものでも、より大きいものから見れば、ちっぽけなものに見えてしまう。私の視線は、私の日常感覚から出ており、これを基準にして大きさを受け取っている。視線を仮想的に上に上げると、どうしても上下の感覚ができてしまう。大きさや優劣とかがそれなりに客観視できるのだ。

 普段は、自分の視線で見ている。これは場合によってはスライドするが、スライドする元となる自分の標準視線がある。視線の背伸びをすると、自分が追従できなくなり始める箇所にぶつかる。

 自分の標準視線も怪しいもので、時と場合によって変化するため、はっきりとした定位置はない。ただ、その位置を常に他人に示すことは可能で、それが自分の標準だと思い込んでしまうこともある。

 大きな冷蔵庫でもゴミとして出す時代だ。冷蔵庫の中のゴミではなく、冷蔵庫そのものがゴミなのだ。