川崎フォトエッセイ  その441 手間暇       HOME


 手間のかかる細工物が年々少なくなっていく。特に造形作品というほどでもないようなものは、簡略化や機能化のほうにポイントが移るようだ。

 手間暇かければよいものが生まれるというわけではないが、普通のものでもかまわないようなことを、一寸凝ることに面白さを見いだし得る。同種のものと比べ、その差が自慢になることもある。そこに拘るセンスが何らかの象徴となるからだ。

 手間のかかることは機械にやらせるほうが効率はいいが、機械がやったものと人がやったものとでは違いが生じる。前者のほうが優れていたとしても、人の手が加わっているもののほうが、作りに人間的なものを感じる。それがたとえ錯覚であってもだ。

 機械的に作られたものは、既知的で、誰かが一度通った世界である。それだけに、最初から完成度の高さが期待できる。

 人が道具で作ったものには創意工夫が随所でなされている。その面白さが伝わるかどうかは別だが、手間に対する価値だけはわかるような気がする。