川崎フォトエッセイ  その452 逃げ道       HOME


 写真という平面上での映像は、被写体がなんであったのかさえ判別できなくなることがある。

 確かにそれは現実から採りだしたものなのだが、別のものになることがある。このギャップが写真の紛らわしさである。現実をそのまま再現できず、しかも現実がなければ映らない。確かに何らかの現実がそこにあったことは事実だが、その再現性に癖がある。

 現実の何を指しているのかが分からなくなってしまった写真は、平たく言えばアートになる。つまりアートというのは一種の逃げ道である。情報をできるだけ正しく伝えるというのとは違う世界になる。むしろ伝えられなくなって、アートにしてしまうということもあり得る。失敗した伝え方になったとき、情報価値を失うため、別の価値にくっつけるのだ。

 だが、ある面では無価値でも、見る側が別の面で価値を見いだすことがある。情緒面での吸い付きのいい映像は、情緒価値がある。