川崎フォトエッセイ  その495  閉鎖的      HOME

 閉じた世界がある。たとえば一人でゲームとかをしていると、その世界は閉ざされた世界で、現実とは関わることにない世界だといえる。そこで宝箱を見つけても、現実としては金持ちになるわけではない。

 閉じた世界は必ずしも現実との関係をなくしているわけではない。それを作った人もやっている人も現実の開かれた世界の人である。その人の、ある現実的な時間を非現実な時間で費やすだけで、これもまた現実である。

 ゲームに熱中すると、時の経つのを忘れ、社会的な時間にまで食い込んでくる。閉ざされた空間が、開かれた空間を侵すことになる。

 しかし、閉ざされた閉鎖空間の安全性もある。ここでは現実と直接関わらないため、現実的な関わり具合で苦しむことはない。自分だけの世界で完結している。

 現実世界の複雑な絡み具合に疲れたときなど、閉ざされた世界で一息入れるのも悪くはない。そこにある現実は、この現実とは違うのだから。