川崎フォトエッセイ  その530  内輪の了解      HOME

 それが何であるかは知っている人は当たり前のように知っているが、知らない人にとっては謎である。それが世間一般に流通している事柄であっても、この情報過多時代では一般常識の幅も広がり、知らない一般常識が増えてしまう。

 暗黙の了解も、どのレベルでの了解事項なのかも曖昧だ。自分が普通に知っていることを人も知っているだろうと思うのは誤解の始まりである。

 同じ情報ソースを同じ人が見ていても、その接し方が異なるため、隅々まで丁寧に見ている人と、適当に流している人とでは差が出てくる。当然価値観によって見るポイントや受け止め方も違ってくるだろう。

 わからないことが恥ずかしいことになってしまうローカルな常識を作ってしまうことも間々ある。僕らはそういう罠を作ってしまったり、または罠に引っかかったりする。内輪世界の面倒臭さだろうか。