川崎フォトエッセイ  その538        HOME

 僕らにとっての今は多様化している。それはもっと昔に生きていても、同じように多様化していると思えるかもしれない。

 今の時代は、過去の今の視点に立っても、さらに古い時代の今が入り込んでいたはずである。

 ただ、今の今に、遭遇するものは、間違いなく今である。それが日常化されていなくても、機能を失っていても、政権を失っていても、この今に出現しておれば、それはやはり今の出来事なのである。

 この今を制御しているものは何だろうか。個人ベースで考えた場合、その今は外圧かもしれない。その外圧的なものに荷担しているのも、また個人で、一方的に外から今がやってくるわけではない。

 ある時代に生まれると、その時代の空気をディフォルトとして背負っている。しかし、この今は、多様な空気や時間軸との共存のため、この瞬間というのは、誰もが初めて体験する組み合わせの今かもしれない。