川崎フォトエッセイ  その545  観光地      HOME

 とってつけたような風景に接すると、その企みに同調するか、それとも反発するかを選択するときがある。大概はその種のお膳立て風景にしたがうほうが無難である。

 企てられた風景は、その企みが意図する雰囲気に溶け込まないと、違和感だけが先走り、風景ではなく意図者の存在が気になってしまうものだ。風景ではなく人を見てしまうからだ。

 観光地にあるその種の結界は、数メートル離れると、普通のリアルが支配する領域となり、現実に連れ戻される。

 結界密度の濃いアングルがあり「いかにも」の風景がそこにある。それを敢えて求め、訪れるのは、ちょっとした日常離脱を楽しむためだろうか。

 お金を落としていかない散歩者よりも、観光旅行者が歓迎される領域は、その仕掛けそのものが、何よりもリアルな企てであるだけに、生臭いものを感じてしまう。