川崎フォトエッセイ  その549  処理系の道      HOME

 人と道とは関わりやすい。人は死んでも道は残り、また別の人がその道を通る。今その種の徒歩で通るような道は少なく、道の概念も塗り替えられている。

 道をただの機能としてみた場合、自動車道や線路や航空路や航路のほうが達成されやすい。大昔のように山野に道を通し、歩いてそこまで行く時代なら、道との触れあいも深かったはずだ。

 人としての生き方の道を「人道」と呼ぶが、道が変化したように、生き方も機能性や快感を求めることが多くなった。

 それよりも現代人は子供も大人も忙しいため、ゆるりと道を味わうような暇なことは日常的ではなくなり、効率が優先される生き方になっている。そうでないと、多忙さを処理できないためだ。

 多忙さは、生き方とは無縁で、それは選択の一つにすぎない。しかし、個人がそう思っていても、周囲に巻き込まれ、処理系の人生になるようだ。