川崎フォトエッセイ  その572  場の書式      HOME

 形式が違うと、同じ行為でも、雰囲気が違ってくる。やっていることは一緒でも、過程へのアクセスの仕方が違うのだろうか。

 人は自分のパターンを持っているが、公共の場では、学習したそのパターンを使うものだ。

 自分のパターンは抽象的で、いわば癖のようなものだ。具体性的なものではない。あるパターンを与えられると、それに乗っかるようにして、自分としての動きをする。

 今まで体験したことのないパターンと遭遇したときでも、何かに当てはめて立ち振る舞いする。

 場によって、パターンを変化させるのは、場にふさわしく、場に馴染み、場での違和感を消すためだ。つまりスムーズに動くためである。

 同じ人が、別の場所へ行くと、人が変わったようになる。役作りをして、その場に臨むためだろうか。