川崎フォトエッセイ  その614  飛び込む      HOME

 動物的に逃げなければいけないような、危険なものが目の前に現れるのではない限り、それとなく見ているものは自分との関わりがフィルターになっているようだ。それは、目の前に飛び込んでくるのではなく、見いだしているだけのことかもしれない。

 見いだしたものには、それなりのストーリーが含まれており、それは自分も加われるところのものである可能性が高い。つまり参加できると言うことは、行動できるということで、現実を生む可能性が含まれているわけだ。

 行為とは人の生き様で、現実とはその人の動きの中にある。過去の現実は、今の現実に反映されているはずで、当然影響下にある。

 その影響は、パターン化されたり、方向付けされたりするもので、オリジナリティーもここに含まれる。しかし、過去を再現させる未来ではなく、リニューアルやバージョンアップはなされているはずだ。