川崎フォトエッセイ  その617  カップル      HOME

 同じ場所でも一人で歩くのと、カップルとでは景色も違ってくる。これは二人の間合いがメインで、場所は付け足しに過ぎないからだ。

 同行者によっても街の見え方は異なる。相手が持っているパーソナリティ的なものが憑依するのだろうか、見えるものも見えなくなり、見えていなかったものが見えてくる。

「私が見ているもの」を相手に覗かれているような感じがある。視線の先にあるのは、そのものではなく、相手の反応を予測した何かである。

 視線の指し場所は、自分自身の何かを拡張した代理物だったり、自分を誇張したセンスが宿っているものでもある。

 カップルはたわいのない会話が続くことがある。それは会話の内容よりも、語り口や仕草から伝わる雰囲気に意味がある。

 相通じるものが少ない者どうしが同行しても、ぎこちない会話は、ぎこちなさしか残らない。