川崎フォトエッセイ  その621  気が抜ける      HOME

 作った側は、そのつもりでなくても、見る側が面白味を見いだすことがある。作る側にとっては恥ずかしい結果に終わっていたとしても、見る側はまた別のポイントで味わうものだ。

 断定的な物言いがある。建物でもその種の言い方になってるものがあり、つけ込む隙を与えてくれない。一度決めたものは撤回しにくくなる。

 デザイン行為は物言いとしては断定的である。選択の中の一つを押し進め、際どく不自然なポイントに重心が乗る。何かを征服してやろうと思えば、プロセス上どうしても強引さや、物事に対しての「決め込み」が必要になるためだろう。

 建物も、とんがったセンスや、固有の規範で統一してやろうという気分が抜けたとき、見る側にホットしたものを与えるようだ。だが、それが狙った場合、わざとらしさが見えてしまうが……。