川崎フォトエッセイ  その637  カーネーション      HOME

 カーネーションで母の日を連想するのは、習慣化された組み合わせを記憶しているためだろうか。

 社会的に定着した約束事は、いつの間にか目にしてしまうものだ。たとえば喫茶店などでカーネーションの一輪挿しを目撃することで、母の日が近いことを気づいたりする。

 この種の情報は季節や行事やイベントを先取りしている。12月になるとジングルベルが聞こえくるのと同じだ。

 都会には季節感がないといわれているが、少ないだけである。季節感は四季の移り変わりだけではなく、イベント類による季節感も含まれる。

 季節感とは、毎年その時期に行われるようなもので代用できる。「今年も母の日がやってきた」などもそうで、それが何らかの区切りになり、通過儀式になる。

 文化的に執り行われるイベントも、一年の中で、それにふさわしい時期に行われているものが多い。