川崎フォトエッセイ  その785  生存確認       HOME

 生きていることの証をどこかで確認したいものである。単に自分という人間がこの世に存在していることに対しての認識を、再確認したいわけである。

 確認できたからとて、大した実用性はない。何かが変化するわけでも、自分がバージョンアップするわけでもない。しかし、その儀式はたまには必要なのだ。

 僕らの日常空間は限られている。仕事で多くの人と出会い、様々な町や場所に出入りしていたとしても、仕事や野暮用がメインであり、日常の結界からは出ていないように思える。

 つまり、自分が単に一人の人間として、ある場所に立つ、というようなことは希である。周囲の人も、見知らぬ人であり、自分の生活空間とは異なる場合、一人の独立した人間としての緊張が加わる。

 おそらく同じ空間内にいても、混ざり合うこともなければ、接触することもない関係だろう。観光地という場は、その種の境地を体験できる。

 自分もまたこの世に生きているのだということを、リアルタイムに知らせあうわけではないにしろ…。