川崎フォトエッセイ  その837  母子像       HOME

 幻の母子像がある。その幻とは、個人的な母子像のイメージである。それは個人的であることから、その個人の背負っている時代背景も背負うことになる。

 たとえば自転車に乗った母子像だ。これは現代的ではあるため、名画の洗礼を受けていない。

 五十年前、自転車に乗れる母親など希だったはずだ。今の若い母親なら、子供時代から自分専用の自転車はあり、よほど運動神経がにぶい人でない限り、乗れるのが普通である。

 その世代と、その親の世代とでは、自転車に乗れる乗れないの断層がある。時代のテンポが早すぎるため、何世代も同じような生活様式が続いていた時代とは異なるのだ。

 価値観も当然割れるのだが、それはものに対しての接し方から来ているのかもしれない。

 人の気持ちは太古からそれほど変わらない。仕掛けが違うだけだ。