川崎フォトエッセイ  その848  神秘への突っ込み       HOME

 信仰は精神的なもので、これは宗教も精神的なものとして括ってもかまわない。精神的なジャンル内でのイベント行為として理解してもよい。ただ、精神的というのは人を動かすエンジン部やコンピュータで言えばOS部であるため、デフォルトで先天的に植え込まれているものもある。

 また、精神的なものは個人的な気持ちの問題だけではなく、共有する人が多い場合、社会的ジャンルにも入る。

 たとえば神や仏を信じない人がいたとしても、それを信じている人がいることを知っているはずだ。ある個人にとってかけがえのない気持ちは、そのジャンルに関わりなく尊重するのが建前である。

 ただ、その個人が一般社会的にみて、妙な思い込みをしている場合、多少の突っ込みは可能だろう。

 もし宗教上での争いがあるのなら、それは宗教以前か、宗教以後の問題だろう。

 人が作ったからくりや仕掛けに対しては、その正体を追求できるが、神秘的な現象に対しては、憶測でしかものが言えなくなるため、突っ込みにくい。