川崎フォトエッセイ  その852  怨       HOME

「怨」という漢字そのものに怨念がこもっている。「恨む」対象が何であるかが分からなくても怨念がそこにあることだけでも恐ろしい。

 日常の中にも「怨」は多数含まれているが、「怨」そのものが、そこにあるのではなく、これは対象との関係で「怨」が発生するのだろう。

 人間の喜怒哀楽の中に、鬼子のように「怨」の感情が追加されている。おそらく「怒り」の感情を親とするのだろう。

「怒り」の感情はとどめなく広がるようで、この感情はエネルギー的にも強力である。その感情を解放すると、とどめなく溢れ出す。

「怒り」の段階はまだ後戻りでき、別の回路へ流すことができるが、「怨」となると、それ一辺倒となり、一塊りの専用回線となってしまう。

「怒り」の感情は、対象との関係なので、改善の余地はある。「怨」はそれを捨てている。「怨」は自分自身との関係になり、もう対象との関係を越えているのかもしれない。

「怨」は固まった感情であり、それだけに、それ自身に強度がある。