川崎フォトエッセイ  その887  全体像       HOME

 分かりやすい部分とは、全体が簡単に想像できることだ。

 僕らはどの程度の全体像なら、全体として把握できるのだろう。たとえば道路の一部を切り取った部分から、それが道路であることは分かるが、それがどんな道路なのか、何処の道路なのか、その道路状態はいつの時なのか、までは分からない。確かに全体の一部で、それが何なのかは分かるのだが、それ以上は分からない。

 全体像と日常的に指しているものは、これもまたより大きな全体の中のある部分でしかない。つまり、日常では、ある事柄に関しての全体なのだ。その事柄と関係のない要素は、無視されるのは、必要性がないためだろう。

 意味が縺れ合い、一体全体どうなっているのだろうと思うとき、それを整理する意味で、そのことの全体像を描き出す。全体が必要とされるのは、ある部分の意味やポジションが分かりにくいからだ。

 全体を宇宙まで拡げると、全体が今度は分からなくなる。