川崎フォトエッセイ  その888  ファンタジー       HOME

 ファンタジーは現実からの距離感で決まることがある。あまりかけ離れると、抽象的となり、無機的になる。

 この現実とどこかで繋がっており、ある地点から現実とは切り離された別世界に至ることもあるが、その出入り口は現実の何処かであるほうが、ファンタジーとしての説得力があるようだ。

 夢物語であったとしても、それが納得できる夢でないとお話にならない。現実ではない非現実な世界だけでは、自分自身が共鳴しにくいだろう。

 広い意味で、僕らはファンタジーと共に生きていることもある。それは現実での行為は、何処から見ても現実的なのだが、行為している本人の精神内では、ファンタジーを演じているかもしれないのである。

 第三者にとって、それは現実的行為なのだが、本人にとっては、その現実とは違うところを歩いているかもしれないのだ。