その894 感じる HOME
それは観賞用のものではないし、また美術作品でもないのに、思わず「美」を感じてしまうことがある。
この、迂闊にも感じてしまう感覚は、感度が良すぎるのではなく、その種の見方で街を眺めているためかもしれない。
人が何に感じ入るかは人の勝手である。感じようとして感じるのではなく、気がつけば感じているのである。
感じは、意味を紡ぐ以前に、既に発生しているのだろうか。または瞬時のうちに意味を演算し、感じてしまう命令を発するのだろうか。
確かに、知覚は、それなりの知識的なものから演算される。だが、感じるという情緒とワンパッケージで、実行されるようなところもある。
しかし、迂闊にも感じてしまう心境は、ダイレクトに感情を動かすようにも思える。感じたときの興奮状態とかは、知識とかを飛び越えたショック感かもしれない。