川崎フォトエッセイ  その998  儀式       HOME

 産まれたときからその祭りがあり、何世代にも渡り実行されていると、次の年も実行する流れとなる。

 しかし、祭りは蕩尽でもあり、消費の側面が強い。この消費とは祭りのためのお金だろう。祭りをしたからといって儲かるわけではないため、一般的な投資ではない。

 祭りに参加する人は一般の人々で、祭りで食べている人たちではない。今風に言えば全てがボランティアである。

 日々を無事に過ごすためには、色々な方法がある。独自の儀式を毎年実行しないと悪いことが起こるかどうかの因果関係はない。

 しかしその儀式を執り行わないと気持ちが悪いものだ。祭りは見学者にとっては数時間のイベントでも、執り行っている人々にとっては数日、あるいは一月以上関わることもある。

 その間、何処かへ気持ちがワープしている。リアルな日常から、非日常の空気の中に入る。その時は現実を忘れてもよい。また、すっかり忘れてあちらの世界での仕事を済ませることにより、現実に戻ったとき、刷新された日常と出合える。

 

 

川崎フォトエッセイ  その998  儀式       HOME