川崎フォトエッセイ  その1128  違った風景       HOME

 たまには違う風景を見たいと思うことがある。そういう場所へ行けば、確かに違うものは見られるが、それがいきなり日常の中で現出するほうが印象深い。

 ただ、そういう現象が起こっていても、受け皿としての感受性が死んでいるときは、気づかないものだ。

 また、それが現れていたとしても、興味深く見ないかもしれない。同じものを見ても、喰い方が違うのだ。

 感受性の高い人が、常に印象深いものを見ているわけではない。そう言う人でも、状況によっては、感受性が閉ざされることがあるからだ。

 その意味で、現出するものは、向こうからやってくるような感じのようでいても、実際にはこちらが、開こうとする何かがあるときだ。

 それは心に余裕があるときに出てくるとは限らない。

 

 

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