その1189 俗に寄る HOME
人の顔に近いものほど、生々しく感じる。それは人が生々しいためだろう。 生々しさの正体は、気持ちや感情のヒダがよく分かるためだ。それが魚だと、その感情は分かりにくいし、思いつきにくい。 聖なるものが俗なるものに近づくほど、親しみは増すが、それだけに思惑のヒダが見えてしまいやすい。 たとえば、すました顔をしていても、その裏にある苦渋を感じてしまう。俗なるものは超然としていないのだ。つまり、つけ込む隙がある。 人は当然生々しく、つけ込む隙はいくらでもある。少しポイントを変えて観察すると、嫌みや見苦しさが噴き出してくる。 それは生身であるため、仕方のないことなのだが、そういうマイナス側が見えるのは、見る側に思い当たる箇所があるためだろう。 俗に落とし込もうとするのは、相手の存在が怖いからかもしれない。 |