その1489 穏和な人 HOME
穏和な人であっても、その人が車を運転している場合、その穏和さは歩行者からは見えない。
歩行者から見えるのは車の形でしかない。
歩行者同士の場合、穏和な人は分かる。その人が目の前にいるためだ。そして、その人が見えている。
だが、車の場合、見えているのは車であり、ガラスの窓の向こうにいる人ではない。また、よく見えないのも確かだ。
車に乗っても人格が変わらない人がいても、車そのものは穏和ではない。
穏和な運転手が、歩行者を渡らせようと止まってくれたとしても、対向車が止まってくれないと、歩行者は罠にかかったようなもので、渡ろうとしてぶつかってしまう。
せっかく止まってくれたので、悪いと思い、渡ることで、事故が起こる。
道路は車のためにあり、人が歩く場所ではなくなって久しい。人は道路を歩かせてもらっているのだという、車社会の現実がある。
その1489 穏和な人 HOME