川崎日誌 2016年6月 川崎日誌  HOME


 



■■ 2016年06月30日 木曜日 午前7時07分
 
 今朝は珍しく晴れている。気温も高い目。晴れている朝は寒いのだが、今朝は陽射しがあるためか、暑く感じる。天気予報では朝は曇っており、晴れるのは昼からのようだが、朝から陽射しがある。
 五月雨(さみだれ)。普段使うことはない。五月(さつき)はあるが。この五月雨、梅雨のことらしい。旧暦の5月が今の6月なのだろう。そうなると、旧暦の一月の正月は、今なら2月になる。この一ヶ月のズレ、どちらへずれているのか、長い間知らなかった。確認しなかったのだろう。前か後ろか。
 ずれていても分からない月もあるが、5月と6月では違うだろう。これは梅雨が入るためだ。5月に梅雨、それはない。しかし、5月に長雨が降らないわけではない。雨の多い5月もあるはず。しかし、正月は困る。これは気温の問題ではなく。だが、正月は冬の始まりで、まだ冬の入り口付近。それを新春と呼ぶのがどうも不思議だった。新しい年なので、新春と解釈するしかない。2月ならどうか。これは一番寒い時期だが、峠かもしれない。冬は12月1月2月。だから、気温は上がり始めている。そこから抜け出す頃だ。だから新春。春が近い。これで新春の意味はそのままだ。梅の花程度は咲き始めているかもしれない。
 この一ヶ月のズレは時代劇では困る。武田と松平の戦いで、織田がなかなか援軍に来てくれない。これは鉄砲を使いたいので、梅雨が明けまで待っていたという説がある。これを年号に月を入れたナレーションでは、えっとなる。梅雨明けなので、7月。しかし、今の暦では6月。まだ梅雨中。だから、月まで書けない。その代わり、梅雨明けと書けばいい。
 赤穂浪士の討ち入りは12月だ。本当は正月明けだとすれば、雰囲気が随分と違う。だから、旧暦の12月とは、今の11月ではないかと、勝手に解釈したりした。後ろ側にずれているのだと。しかし、それでは東京で雪は降らないだろう。11月では。12月でも、今の感覚では降るのは希、やはり1月になると、降ってもおかしくない。ただ、それは最近の天気で、元禄時代と言えば、江戸の初めだ。だから、当時は降っていたのかもしれない。11月でも。
 では赤穂浪士の討ち入りがなぜ12月なのかを知っているのかというと、この時期、忠臣蔵のドラマをやっているためだろう。
 226事件は流石に、今の暦だ。だから2月。雪は降り、積もっていてもおかしくない。
 これが一ヶ月ずれていると、3月26日になる。春の雪だ。
 江戸の桜田雪が降る。桜田門の変。大老井伊直弼が暗殺された事件だ。これも雪が降っている。
 雨のしたたる五月かな。これは明智光秀が本能寺を襲う前に連歌で作った歌の下の方だ。旧暦の5月が今の6月なら、やっと感覚が合う。
 つまり、一ヶ月のズレは結構ある。たった一ヶ月なので、あまり変化はないようなのに、やはり特徴があるのだ。
 
 昨日は一日雨で、何ともならなかったが、いつも行くショッピングモールの喫茶店へは行っている。雨の中だ。それで、ウロウロできないので、同じ場所にある上新を覗く。雨の日の散歩はショッピングモール内に限る。傘がいらない。空調もいい。
 一眼レフが展示されているのだが、持ち上げられように、三脚穴に、何か差し込まれており、雲台のようなものに根が生えたように乗っている。だから、持ち上げられないし、ファインダーも覗けない。その中で、一台だけ持ち上げられるカメラがある。ニコンの安くて軽い普及機の古いタイプだ。3300だろうか。5300が最新で、一番安い。5500が一応メインだが、そこから液晶の回転を取った程度のスペック。3300という古いタイプが展示されているのだが、これが一番軽いのではないかと思える。キヤノンも小さく軽いX7を出したが、その後、大きく重くしている。やはり小さすぎて、持ったとき、シャッターボタンに指がかかりにくいためだろうか。
 ニコン3300も小さいのだが、グリップとシャッターの位置がいいため、窮屈さがない。
 ボディーはプラスチックの填め込み式で、最近一ヶ月ほどで建ってしまう家のようだ。蹴ると、パコンと割れそうだが。近所に建った家は一年ほどかかっている。豪邸ではない。木の柱や、カーブのある壁とか、一寸凝った家のためだ。
 このニコン3300、1インチタイプのコンパクトカメラよりも安い。ダブルズームキットだ。300ミリまでの望遠ズームが非常に軽い。ミラーレスと変わらないほどだ。
 光学ファインダー付きで、ここまで軽くできるのかと思うほど。ただし、バッテリーは入っていないので、それを入れると、ぐっとくるのかもしれないが。
 ボディーは500グラムほどだろう。望遠レンズは200グラムほどとして700グラムから800グラム。これはミラーレスの方がやはり軽くできそうだが。
 このダブルズームキットというのが曲者で、レンズが悪いと言うことではなく、二本のうち、一本は放置となることが多い。特に望遠ズームが。しかしこれを一本に纏めたレンズは高いし、重いし、大きくなり、別物になってしまう。レンズとカメラの重さが同じようなものになり、1キロほどになるだろう。これで重いカメラになってしまう。
 だから、望遠を一眼レフに付け、広角側はコンパクトカメラをポケットに入れた状態で写しに行くことになる。それを一台で、一本で済む軽くて小さいのはないかと見ていくと、パナソニックにある。ミラーレスで、ハーフサイズなので、それができるのだろう。
 しかし、一眼レフのこのレンズ選びの難しさを一撃で解決してくれるのがネオ一眼だ。重さは半分ほどになり、ズーム比は倍になる。しかし画質が半減するわけではない。
 まあ、ネオ一眼は望遠向けだろう。広角端も21ミリからのタイプもある。結局そのフィニッシュが、ウェブに載せる程度なら、十分だ。
 そのため、差があるとすれば、撮影のとき、撮すときの充実感だろうか。
 

■■ 2016年06月29日 水曜日 午前7時17分
 
 今朝は曇っている。気温も低い目。梅雨時のじとじと鬱陶しい日が恒例通り続いていると言うことだろう。だから、不思議でも異変でも何でもないのは、この時期そういうものだと長く言われてきたため、自分だけではなく、かなり昔からだ。これが氷河期まで行くと、別だが。
 この前から南野村の昔はどんな感じだったのかと自転車でうろついていたのだが、これは村の墓がないので、探していただけ。それで見付かったので、問題は解決したのだが、自分が住んでいる伊丹。この伊丹は当然南野村ができた頃なかった。南野村などが合併して伊丹になったのだが、その前に、南野村やその近くの村々が稲野という村になったようだ。このときの村とは、市町村の村で、村の中に村があり、さらに村がある。だから、稲野村役場などがあったのだろうか。このときは稲野と猪名野の関係は、また調べ直す必要がある。猪名野の方が当然古いのだが。
 今の稲野町には村はない。神社がないからそう思うのだろうか。その南に柏木町がある。ここも神社がないのは、実は南野村だったためだ。
 猪名野笹原と歌われていた時代、やはりこのあたりは猪名部氏ゆかりの土地なのかもしれない。猪名野神社、猪名寺、揃っている。
 その稲野、地名から一瞬消えた時代があるようだ。復活したのは阪急伊丹線の駅。そして稲野、新伊丹は阪急が開発した住宅地。稲野は伊丹への入り口だが、これは阪急が足になる。昔の街道ではない。
 稲野小学校がある。これが相当古いらしい。しかし、稲野にない。今の稲野ではないためだ。広かった時代の稲野、合併して伊丹になるほど大きな地域だった。昆陽という南野村の北にある大きな村は宿場町でもあるらしいが、そこにある。そんなところになぜ稲野なのだと不思議に思ったものだ。
 猪名野笹原、笹原が続く一帯。まだ農地が少なかった大昔の時代を歌にしたものだろう。その笹原が南野村にある。笹原小学校、笹原中学校、いずれも人が増えたので、できた学校だが、笹原の名を使っている。
 明治時代の古地図に南野村が出てくるが、伊丹城下のすぐ近くだ。遮るものがない。全部田圃だ。間に家がない。田圃の中にポツンと家が集まっている。それが村だ。しかし、本当にポツンとだ。つまり、田圃なので、人は住んでいない。人はいるだろうが、人が寝起きする場所ではない。
 昔は隣の村が見えた。間に建物がないからだ。さらに昔なら、もっと見えただろう。
 昔というのは広い。土地が広く見えるのではなく、時代が色々とあり、一口に昔と言っても、どの年代かで違ってくる。農家以外の家が建ちだしたのは、この近所では阪急電車の影響が強い。阪急の分譲地だ。これは伊丹だけではなく、宝塚線でもそうだろう。豊中や川西なども。つまり、大阪で働く人の家。大阪の長屋で住むよりも、少し遠いが一戸建ての家が持てる。しかも月賦で。遠くても阪急電車ですぐだ。しかし、高級住宅地も結構ある。
 また、大きな工場、これは昔の財閥だ。三井、三菱、住友。このあたりの大工場ができると、社宅ができる。南野村を通る有馬道が途切れて消えている箇所に三菱のグランドがある。こんなもの簡単に取ってしまえるのだろう。ちなみに他の場所では細いながら有馬道は続いている。決して私有地にならない。
 古墳群の一つで、大きな古墳があったらしいが、それが簡単に消えたのは、大工場ができたためだ。何せ大財閥なので、古墳ぐらい、簡単に潰してしまえるのだろう。その土地を買ったのだから。しかし、この工場、敷地の端にあった古墳は壊さないで残している。工場に入り込んでいるのだが、通路を確保している。これは古墳を守るためではなく、古墳の上に墓があるのだ。村の。流石にこれは潰すわけにはいかなかったのだろう。
 古墳を守れ、などは当時はあまり考えていなかったのかもしれない。この工場の北にも古墳はあるが、盛り土が消えている。土が必要なので、削ったらしい。今は半分ほどの規模で盛り土され、公園になっている。
 工場内の御園古墳は幸い端にあるため、生き残った。村の墓のおかげだが、古い方の墓、つまり古墳は問題外だろう。何処からも苦情は出ない。誰の墓なのかは、もう分からない。土地の人も、その古墳を崩して、村墓にしたのだから。
 昔というのは何処までも遡れるが、個人が知っている昔というのは、せいぜい物心が付いた頃見ていたもの程度だ。それらも、おぼろげな記憶になり、忘れていったりする。
 小学校、中学校に通った道がある。同じ道だ。しかし、今は反対側に新しい小学校や中学ができた。だから、通学路も変わったのだ。ただ、今から小学生をやるわけではないので、近くになって楽になったとは思わないが。
 逆に中学校の方が近く、小学校の方が遠い。これも、昔の尋常小学校時代は、もっと遠いところへ通っていたのだろう。もの凄く遠い場所にあったりする。そして、もの凄く遠い村から通っていたのだろう。
 だから、時代、年代により、通学路も違う。自分が知っている通学路しか、実感はなく、あとは想像だ。しかし、遠く感じていたのかどうかは、当時の子供達に聞いてみないと分からないが、もう既にあっちへ行っている。おそらくそんなものだと思っていたに違いない。昔の子供は意外と遠くまで出向き、遊んでいる。これは田圃ばかりなので、見晴らしがいいため、道に迷うことがない。目印があるのだ。それに村道はしっかりとしており、道も少ないので、ほぼ一本道でいけたためだろう。ちなみに、その昔の尋常小学校時代の小学校、南野村から見ると、有馬道沿いだ。この道、今もある。
 その有馬道、大阪側で分かっているのは神崎川の橋あたりまでだろうか。地図で見ると、真っ直ぐな道ではなく、カクカクと曲がっている。北西へ行くはずなのに、横へ向かったりしている。これは田圃だろう。田圃の形に合わせて道を通しているのだ。
 地図を見てしまうと、解答を先に見てしまうので、できるだけ見ないようにしている。
 
■■ 2016年06月28日 火曜日 午前7時08分
 
 今朝は雨。しかし、雨の日は気温も高いはずなのだが、違っている。寒い。20度を切っている。最近あまり暑い日がない。雨が多いためではなく、たまに晴れるのだが、そのときも暑くない。不気味な涼しさだ。この夏はかなり暑くなると予測されている。
 それは自分が予測しているのではない。そんな予知能力はない。動物にはあるかもしれないが。ではなぜ今年の夏、つまり梅雨が明けてから猛暑や酷暑になることが分かるのか。これは天気予報だ。それで知った。自分が予測したわけではない。空模様ばかり見ている専門家が判断したのだろう。しかし、これは断定したのではないはず。暑いかもしれない、暑いと見られる程度だったとしても、それを報じる人が、断定的に、もう決まり切ったものとして、伝えたりする。それを聞いた人が、今年は暑いと、きっぱりと言い切ったりする。この人は何様だろう。実際には又聞きの又聞きのようなものだ。
 今年の冬も、暖冬だったのかどうかが曖昧だ。暖かい日もあったが、いつもの真冬のように寒い日もあったが、もう振り返らない。終わったことだし、明日それで困るような人は少ないだろう。これは農産物とか、冬物衣料に関わった人なら、まだ影響を受けているかもしれない。売上げが減り、収入が減り、今も夕食のおかずが淋しくなったとか。
 さて、この夏の予報だが、これを個人的に感じ取って、暑くなりそうだと分かる人は凄い。どういう情報から割り出されるのか、聞いてみたいのだが、そう思うとか、そんな感じた程度だと、これは勘のようなものだ。何か暑そうな雰囲気がするとか、そんな気配がするとか。
 これはまったく説得力がない。数値で示せとか、データを見せろとなるだろう。そんなものは一切なかったりする。
 それは渡り鳥の旅立ちが早いとか、遅いとか、花の咲き方がちらほらではなく、一斉に、パッと咲いていたとか、ボウフラの数が少ないとか、川の水がこの時期にしては温かいとか冷たいとかになると、これは自然から得たデーターだろう。だから勘ではない。
 では、渡り鳥はなぜ早い目に飛び立ったのか。これは暑くなるので、もっと北へ行くため、早いめ目に飛び立った。では、鳥はなぜそれが分かったのか。鳥は風に敏感だ。風の強さだけではなく、温度も。そういったセンサーが、教えてくれたのだろうか。しかし、早い目に飛び立つきっかけにはならない。もしそうだとしても間接的、間接的に分かったということで、天気予報とあまり変わらなかったりする。
 ここにもう一つ神秘的なものの介入が欲しいものだ。それはあるとすれば、データを受け取るときの力だろう。感受性。
 この夏の気温は、実はそれ以前に、既に出ていたりする。まるで伏線、フラグのように。このフラグ、旗が立っているのに気付く能力。もしそれがあるのなら、天性のものだ。普通は気付かない。
 町内の寒がりで有名な山田さんが、今朝は半袖姿だった。だから、この夏は暑くなる。というのは、思い違いだろう。分かりやすすぎる。
 山田さんは、真夏用の半袖を昨日買っており、うれしがって早い目に着ていただけかもしれない。
 今朝、寝起きの喫茶店へ行く前にイタチを見た。最近よく見る。また、道路で毛皮になっているイタチも見た。さあ、これで酷暑になるか、普通の夏になるか、どちらだろう。これは夏が過ぎた頃、答えが分かる。今は分からない。
 
 先日買い直したパナソニックの旅カメラTZ70が結構いい。これがあると、他のカメラが死んでしまったりしそうだが、あくまでもとりあえずのカメラで、大概のものをそれなりの画質で撮してくれる。ポケットに入るので、重宝する。真夏でもズボンのポケットに入るので、毎日持ち出せる。鞄はいらない。
 その代わり、カメラが小さく軽すぎるので、あまりラフには振り回せない。広角はいいが、これで700ミリの望遠までいけるので、そのときは流石に大きい目、重い目のカメラの方が好ましい。
 しかし、同じパナソニックの1インチタイプで25から400の高級機も気になりところだ。ファインダーが大きく、さらに解像力も高い。こちらの方が撮影するときは楽しめそうだ。望遠端が400ミリなのが物足りない。1インチではなく、普通のコンパクト系受光素子タイプのネオ一眼の方が高かったりする。そちらは600ミリまである。それを考えると、1インチや、それ以上の受講素子の大きさと値段とが比例しなくなっている。写りはあまり変わらないということだろう。
 

■■ 2016年06月27日 月曜日 午前7時13分
 
 今朝は晴れている。しかし朝の気温は20度を切っていた。やはり晴れた日の朝は気温が低くなる。当然昼の気温は陽射しがあるため上がる。そのため、温度差が高くなる。所謂寒暖差だ。これが雨の日だと朝は結構気温は高い。しかし、昼間もあまり上がらず、同じような温度の日もある。こちらのほうが過ごしやすかったりする。
 というようなことを始終書いているのだが、同じことを何度も書いているが、その順序が違う。単語は同じでも、並べ方が違ったりする。句読点が多いときもある。所謂文体が違う。文体をスタイルだとすれば、これはあまり変わらない。しかし、それを文章にすると、結構違う。文体とはただの傾向ではないかと思える。そういう言い方が多いとか、そう言う言葉の並べ方が多いとか。言い回しのことだろう。
 この晴れている日は気温が低いも。その日の勢いで言葉の使い方が違う。これは最初にどの言葉から入るかにもよる。そして、文章には癖がある。これは喋り方の癖、話し方の癖、また頭の中で物事を考えているときの言葉の使い方が反映されるのだろう。書いていなくても、喋っていなくても、言葉を使っている。頭の中で。
 書くときは流れが自然にあり、この流れがないと、単語一つで終わってしまう。言葉の前に構造があり、言葉でそれを組み立てていくのだが、これは何処までも続いたりする。
 要するに文体とはしっかりとしたものではなく、一寸言葉の前後を間違えたとき、それを受けて次の言葉で補正したりする。
 文体は形ではなく、ただの傾向。癖のようなもので、その人の喋り方とほぼ同じだろう。もっと正確なのは、独り言を言っているときの文体だ。この文体、感情により変化する。そのため、文体や文章力ではなく、感情の方が実はメインだったりする。これは弱い感情でもいい。感情ではなく、感心でもいい。
 晴れた日の朝は寒い。この「寒い」は困るという感情がある。感情と言うより、実際に寒いので、具体的だ。気持ちの問題ではない。そういうものから押し出される。そして言葉の出し入れはその都度変わる。というより、数日前に書いた同じ言葉の並び通りに書く方が難しいのだ。これがそっくり同じだと、お経のように唱えているようなものだ。
 しかし、お経にしても、言葉やその並びは同じだが、唱え方のリズムは毎回違うだろう。テンポも。当然声の質も。
 さて、それで朝は寒いのだが、昼間は高温になるようだ。昨日も晴れていたが、それほど高くならなかったので、自転車散歩にはもってこいだったが、出遅れた。
 しかし、夕方前に入る喫茶店からの戻り道に、塚口寺内町に侵入。塚口城のあるところだが、実はお寺が本丸だ。塚口の町は、阪急塚口駅前ではなく、実は、この寺内町跡だろう。伊丹から有馬道を大阪方面へ向かうとき、この寺内町にぶつかる。と言うより、いつもの南野村から一本道で繋がっている。それが有馬道だとは知らなかったが。
 南野村からの農道を見ていると、塚口へ行く有馬道と、富松村へ行く道がある。この富松村に富松城があった。今は盛り土程度を残し、ただの繁みだ。敷地としては農家一件分程度と小さい。昔は砦のようなものだったのかもしれないので、もっと広かったはず。城は古代からある。だから、時代により違ってくる。当然マップも。
 塚口寺内町も大きいが、富松村も大きい。富松神社は、村の神社とは思えないほど規模が大きい。近くのお寺も立派だ。
 南野村が江戸後期は尼崎藩の領地だったことを知ったので、それなら富松村とはお友達ということになる。富松村は尼崎市。南野村は伊丹市。
 そう考えると、伊丹よりも、尼崎に親しみを覚える。なぜなら尼崎城が市役所のようなものなので。藩の役人はここにいたのだろう。
 しかし、誰が領主だったかが分かりにくい場所もある。富松村にも近い武庫之荘など。名前の通り、荘園だ。そういった小さな領地がゴチャゴチャとあったのだろう。そういうのが地名として残っていたりする。それらは町名的には、村の字となる。何々村字何々とか。この小さな地名の方が実は古かったりする。
 南野村は伊丹方面から見ると、中野、西野と言う地名があるので、その並びで、南野があるように見える。方角も合っている。
 要するに村はどの領主やグループにも帰属せず、村だけで完結していたのではないか。
 伊丹にある、ある村の成立が、石碑に書かれていたが、奈良の大仏ができた時代だ。まあ、領地を増やすため、国家事業的に今の伊丹のある場所を開墾したことが始まり。これは伊丹の歴史ではなく、村の歴史なのだ。村単位で話が進んでいる。
 伊丹は兵庫県で県庁は神戸にある。しかし、大阪の方が近くて便利だし、それに伊丹の高いところからなら大阪は見えている。神戸は見えない。だから、大阪により親しみを感じる。
 それこそ有馬街道や、有馬道で大阪城に出られる。
 だから伊丹市からの視点というのはなく、村からの視点になる。そのため、伊丹の町が発展するより、尼崎が発展した方が都合が良かったりする。よく行くためだ。しかし、尼崎市長選や市会議員を選ぶときの選挙権はない。そして、兵庫県知事や県会議員を選ぶ選挙権はあるが、大阪府に対しての選挙権はない。そちらの影響の方が強いのに。
 要するに南野村は伊丹市からも外れ、その伊丹市も兵庫県から外れている。
 

 


■■ 2016年06月26日 日曜日 午前7時07分
 
 今朝は久しぶりに晴れている。気温はやや低い目。晴れているためだろうか。雨は一休みのようだ。そのあと、また雲と傘マークが並んでいるので、次に晴れるのはいつなのかは分からない。少なくても一週間後までは。
 この天気予報の一週間後は、毎日ずれる。移動している。一週間後が日曜日なら、この日曜日は一週間近くは表示される。一週間後は、この日曜日は消える。しかし、一週間後の日曜の天気は毎日変わる。一週間予報を毎日出しているためだ。今日は一週間後に日曜日は晴れと見たが、明日になると曇りと判断するかもしれない。さらに次の日は。
 高気圧が来るはずなのだが、どうも動きが予測通りでないと、次の日、分かれば、日曜日の晴れは遅れたりする。だから、晴れから曇りに変わる。その翌日、遠くにあるその高気圧のスピードが上がったと見るや、日曜日どころか土曜日まで晴れに変わったりする。
 つまり、一週間後の日曜日の天気は毎日更新され、固定した物ではない。一週間前に決めたことは、何が何でも守り抜くという話ではない。一週間後は、実は毎日違う。今日からの一週間後は日曜だが、明日からの一週間後は月曜だ。
 つまり、予測される未来は毎日変わると言うことだ。これは未来だけではなく、過去もそうだろう。明日、何かの歴史的発見があれば、過去も変わる。存在していると思われていた人が、実はいなかったりもする。歴史は変わるが、現実は変わらない。しかし、その過去の現実は、捉えきれない。
 例えばフェースブックなどの記事が全て保存され、その時代のことが、ずっと残ったとしても、書かれていないことの方が多いだろう。例えば日記にしても、その日のことを書くと、一日かかる。それでも書ききれないだろう。そういう意味だけではなく、書かなかったことも多いはず。映像もそうだ。撮さなかった映像も多いはず。
 百年ほど前の先祖、これはそれほど遠くはないのだが、日々どんな暮らしをしていたのかは分からない。二百年前になると江戸時代になる。誰が当主をしていたのか分かるが、どんな人だったのかは分からなかったりする。その当主の弟や妹、または姉については、さっぱりだろう。その子供に関しては、もう何か分からない。その当主の孫あたりでも、当主の弟とか、その子とかになると、余程関係がない限り、既に遠い。
 それで、何か困るようなことはなかったはず。それよりも、その人達が、何を考え、どんな暮らしぶりをしていたのかになると、これはもうさっぱり分からない。それを伝える人がいなかったり、それを聞いた人も、実際に見たわけではないので、実感に乏しく、そのため、それを子供に伝えなかったりする。まあ、それをやり出すと、膨大な数の先祖について語り継がないといけない。分かっているのは産まれた年と没した年だけかもしれない。これはお寺や仏壇に記録で残っていたりする。産まれた年号は、没したときの年齢と、年号が分かれば、計算できる。せいぜい長生きした人とか、短命だったのか、程度しか情報がなかったりする。若くして没したとき、事故か、重い病気か、程度は推測できるが。
 歴史小説やドラマなどで、殆どデーターのない人もいる。まあ、あったとしてもどんな喋り方をしていたのかになると、これは想像だろう。だから、勝手に人物像を作っている。セリフもそうだ。本当はひどい訛りで、何を言っているのか分からなかったりしそうだが。
 髪かたちも、幕末の武士の写真を見ると、時代劇のカツラに比べ、ボリュームがない。かぶっていないためだろう。また、そんなにカツラの種類がなく、その他大勢の人は、お揃いの帽子をかぶっているようなものだ。同じような。
 年寄りのカツラは、少し白髪を入れるが、髪のボリューム変わっていない。これがリアルだと、髪も薄くなり、髷がもの凄く後退していたりする。
 それより前になると、絵や彫刻系でないとビジュアルはない。
 当然昔の人は背も低い。もし時代劇の世界にワープできたら、驚くだろう。
 テレビや映画でよく見ている人を生で見たとき、意外としょぼかったりする。それよりも、生々しい。
 
 
 
■■ 2016年06月25日 土曜日 午前7時16分
 
 今朝は曇っている。雨が降っていないだけ、ましだ。昨日は強い雨が降っていた。これは音で分かる。一番強い降りのときは金属音になる。
 強い雨が一日中降っていると、それはもう洪水になる。一時間ほどだろう。強い雨のときの雨宿り、これは有効で、少し待てばやむか、小降りになる。
 最近の最低気温は22度が平均だろうか。晴れている朝は20度を切ることがある。暖かい目の朝でも25度は超えない。越えると熱帯夜だったことになる。この平均22度は、あまり注目されない。冬なら最低気温は注目されるが、夏になると、最高気温の方が気になる。
 この22度とは、毎日見ている数字からの平均で、少し高い目かもしれない。21度や23度等々、よく見かける数字を見ていて、一番多いのが22度ではなく、18度とかが混ざっていたりするし、24度もたまにある。だから22度が一番多いのではなく、22度前後が多いと言うだけ。決して22度が多いのではない。本当はこの平均22度の22度が一番少ないかもしれない。平均なので、実際のその日の気温ではない。
 ある集まりで、平均年齢32才となっていても、実際に32才の人は一人もいない例もある。親子が一組で三十組参加した場合、平均年齢は二十歳ぐらいになるかもしれない。そんな年齢の人はいなかったりする。
 梅雨時は雨で足止めされ、晴れると暑くて、外に出にくい。それで、この時期は自転車散歩がしにくいのだが、曇っている日や、晴れていても気温が低い日もある。曇りと雨の表示しかない予報でも、青空が出て、陽射しが出るときもある。
 
 ゲーム信長の野望をやっているが、戦闘シーンでも、やり取りがあることが分かった。敵が大軍できても、戦闘にならないこともある。様子を見ているのだ。特に大国同士の戦闘では大会戦になる。ありったけの兵での戦いになる。ただ、大国でなくても、軍団があり、軍団単位で来る。その軍団が全て同じ目的でくるのではなく、別のことをしている軍団がある。これは合戦には参加しなかったりする。だから、全軍で来るわけではない。当然大国も、隣接する敵国がいるわけで、そこへの備えで兵を残している。
 敵が攻めてきたとき、追い返せば、それで済むが、しつこくしつこく何度も来る場合がある。これも追い返せば、それで済む。
 次は攻める場合だが、大国の一つの城を取りに行くと、それを守るため、ものすごい数の敵軍が来る。それで、こちらもさらに多い数を出すと、敵も、奥の方の城から兵を送り込んでくる。これは全面戦争になり、兵の多い国が勝つのだが、他国に援軍を頼んだりされると、計算外になる。
 また、その大国を叩いて、滅ぼしても、その背景にもっと大きな国がおり、やっと平定しても、疲れ切ったところに、その大国が攻めてきたりする。今戦っている大国が壁になり、さらに大きな大国の縦になっていたようなものだ。だから、その大国を取っても喜べない。
 例えば北条が強くて大きい。こればかり意識していると、実はそれよりも大きな国が北の方にある。南部だ。北の果てだが、上には敵はいない。だから、南下してくる。そこには伊達などがいるのだが、伊達も北条がいるので、それ以上領土は広げられないし、日本海側から上杉に攻められる。
 南部は何処からも攻められないで、南下してきて、伊達も取り、上杉の北上東北入りを押さえ込み、関東に出て来る。このとき、北条よりも領土は広くなっている。西で言えば薩摩の島津が九州を取り、中国と四国も取り、姫路あたりまで来ているようなものだ。そのため、中原で戦っている大国も、辺境の大軍に挟まれ、何ともならなくなる。それで、結局は北の南部と南の島津の勝負になるのかもしれない。これは早く天下を統一しないで、長引いた場合、そうなる。南北の国が大きくなる前に覇王になっていれば、南部も島津も大軍でつぶせる。これは最後の戦いで、勝つことは分かっているので、しなくてもいい。戦国大名という私兵が、将軍になり、幕府軍となるためだ。つまり、私戦を禁じる振れを出せる。これで従属、または家来にできる。
 畿内を押さえ、北条を倒せば、ほぼ天下は取れる。つまり関西と関東を押さえれば良いという話だ。
 この条件を果たしやすい位置にいるのが尾張、美濃、三河だ。丁度中間にいる。だから、尾張の織田が天下を取りやすい位置にいるが、ゲームでは美濃の斉藤に滅ぼされるか、三河を飲み込んでいる今川に滅ぼされる。これは強い国に挟まれているため、サンドイッチになる。両方から攻められ、ゲームではほぼ瞬殺で亡びている。
 武田は残念ながら兵の数が少ないので、平野部に出てこないと大軍を得られない。関東に出るか東海へ出るかだ。平野部の城は多くの兵を集められる。
 上杉は日本海側に長く伸びすぎ、中途半端。機内へ入るには敵が多い。北は南部や伊達がいるので、簡単には取れない。関東方面は武田や北条がいるので、降りて来られない。
 それなら最初から畿内におり、二条城にいる幕府でもある足利でやればいいのだろう。しかし、足利家は真っ先に本願寺や細川、三好、浅井などに滅ぼされる。つまり敵の城を取りに行くのは大変だ。しかし、北の丹波の波多野を潰せば、そこの武将は強いので、何とかなるかもしれない。それと三木や赤松などの播磨勢を得れば、結構強くなるが、三木は強いが、赤松は、この時代弱い。しかし姫路は兵が多く集められる。
 このゲーム、時間制限はないが、時間は進んでいく。そのため、あまり時間を掛けると、武将にも寿命がある。それを長寿にする選択もあるが、限界がある。
 信長の守り役で、次席家老だった平手の爺、信長が天下統一するときまで生きていたりする。
  
■■ 2016年06月24日 金曜日 午前7時16分
 
 今朝は久しぶりに晴れている。そのためか、朝の気温はいつもより低い目で20度を切っていた。晴れた朝はやはり気温が下がるようだ。昨日は昼からよく晴れ、爽やかな日だった。最高気温も27度ほどで、陽射しあっても暑くない。湿気が取れたためだろうか。曇っていて蒸し暑いより、晴れていて気温は高い目になるが、陽射しのある日の方がいいのかもしれない。日陰が涼しいためだ。曇っていると日陰そのものがない。しかし、曇っていても日は差しているらしい。だから、日傘を差している人がいる。日などないのに。これは暑いからではない。
 昨日はそれで、夕方前に入る喫茶店からの戻り道、大回り散歩に出る。これは遠出ではなく、帰り道を変えて、ウロウロするだけのことだ。それができるほど暑くない。晴れて陽射しはあるのだが、さっぱりとしており、爽やかな晴れ方のためだ。
 昨日は鞄の中にパナソニックのミラーレスに望遠ズームを付けたもの。この組み合わせは結構軽い。ネオ一眼レベルだろうか。
 塚口あたりまで下り、西へ進み、大回りするコースがあり、これは走るだけの自転車散歩コースなのだが、久しぶりにそれに乗る。阪急塚口駅前を通過したが、ここは伊丹より賑やかだ。人が多い。阪急伊丹駅前はさっぱりだ。道路を整備しすぎたためだろう。そして駅ビル。
 阪急塚口駅に伊丹市バスのバス停がある。尼崎市内に入り込んでいるのだが、伊丹の南の端と言えば、南野村や安堂寺、柏木町あたりだ。そんなところを終点にしても、何もない。このバスに乗るのは伊丹市内から阪急電車に乗るためだ。阪急伊丹線はあるが、塚口に出た方が近い場合もある。つまり、伊丹線から遠い。どうせ、伊丹線に乗っても、塚口で乗り換えになる。塚口が目的地ならいいのだが、大概は大阪や神戸へ行く人だ。通勤通学で。
 それで、塚口の裏通りに出て、そこから阪急神戸線沿いに西へ進み、戻ってくるコース。
 戻り道、公園に寄る。トイレがあるからだ。その近くに蛸のオブジェがあるので、撮していた。望遠ズームなので90ミリだ。結構引かないと、全体が入らない。それでゴソゴソしていると、小学校の女の子が見に来ていた。何をしているのと聞いてきた。蛸を撮しているというと、納得したようだ。そこは富松だろか。人通りが多いのは夕方前のためで、近くに高校がある。部活で公園前の道路をぐるぐる走っていたりする。公園にも子供が多く、親もいる。しかし、その子が人懐っこいだけのことかもしれないが、これが尼崎だ。しかし、昔から富松にいる家族ではないだろう。
 そのまま、大きい道に出ると、そこはカメラのキタムラ。ついでなので、覗いてみる。
 ソニーのα6とα6000が並んで中古で出ていたのだが、売れたのはα6000のボディーのみ。価格は同じだが古いタイプのα6はダブルズーム付きでこの値段。同じ4万円台でニコンの5300ダブルズームキットがあったが、消えている。これが一番早かったのではないかと思える。現役機だ。しかも小さく軽い。
 パナソニックの1インチネオ一眼は売れたのか、残りは店頭展示品で5万円台に落ちていた。税込みで。だから、残り一台で、しかも展示品なので、値段が落ちたのだろう。少し大きいのが欠点だが、先ほどの公園でのシーンを思うと、大層なカメラで撮している方がいい場合もある。いかにも撮影していますという絵になるからだ。
 それでその帰り、スーパーで、天麩羅を買ったのだが、これがいけなかったようだ。イワシとイカの天麩羅だが、胸焼けした。
 そして、食後の散歩で、いつもの徒歩散歩コースを歩いていると、地図がある。中学の前だ。それがあることは以前から知っている。他の町内にもある。地図といっても旧地名の地図だ。これは明治時代などに作られた地図かもしれない。今で言えば、住宅地図のようなものだろう。
 これが気になったのは、南野村の墓地を探していたためだ。もしかして、地名で残っていないかと、見ていた。
 そして、発見した。南野村の墓地を。地図に書かれていたのではなく、解説の文字の中に墓が出てきたからだ。探さなくても、いつも通っているところに解答があったのだ。
 思った通りの場所だったが、意外な場所。予想では村はずれにあると見て探していたのだが、その外れ方が凄まじい。もの凄く遠いのだ。
 それは、柏木町にあった。二つか三つほど向こうの町だ。しかし、昔はそこは南野村だったらしい。もの凄く広いのだ。そして、墓地は古墳の上に作られていた。これですぐに分かった。このあたりの古墳群の中で、一番古い古墳だったと思う。だから小さい。
 そこが古墳だとは知らなかったが、少し盛り土をして高いところに墓場があることは以前から知っていた。最近でも、その前を通ることが多い。だから、ずっと見ていたし、知っていたのだ。
 柏木町の向こうはもう尼崎で、塚口だ。もう一つのお隣は富松村。いずれも尼崎だ。しかし、南野村の尼崎側には安堂寺などの町がある。だから直接接していないのだが、この安堂寺も南野村から別れたものらしい。だから、もの凄く広い村だったのだ。
 さらに解説を読むと、有馬街道がある。有馬道かもしれない。これは地名の説明で、その街道沿いに山道がある。地名だ。これが有馬と関係しているのではないかと解説にある。
 それよりも、いつも探していた有馬街道が近くを走っているので驚く。有馬街道、または有馬道というのは複数あるのだろうか。
 ただ、その地図にある有馬街道、小さい頃からその道端で遊んでいた。畑の畦道程度。これが街道だとは思えない。ここだけは長い間田圃と田圃の間にあり、道幅は昔と同じだろう。拡張されていない。
 さらに驚くのは、この道、最近は朝の喫茶店へ行くときの道だ。喫茶店もその有馬街道沿いにある。いつも言っている由緒正しい道で、この道が延びる伸びる。何処までも続いているのだ。だから村道と言うよりも、村と村を結ぶ幹線道路のようなものだと思っていた。その先が有馬温泉だとは思わなかった。せいぜい西国街道にぶつかれば、そこで終わると。
 西国街道とは、京都から見た街道名で、北国街道と同じようなものだ。東は東海道。
 そして、柏木町にある南野村の墓地であり、また古墳、そのどん前を実は街道が横切っているのだ。つまり、南野村を通過した有馬街道は、そのまま安堂寺を斜めに越え、塚口へ向かうが、そこで途切れる。三菱のグラインドにぶつかるため、そこで切れてしまうが、その向こう側が実は柏木町で、そこからまた有馬街道が見える。そのとき古墳の横を通る。さらに進むと塚口に出る。その先は、以前尼崎探検に出たときの有馬街道となるのだろう。
 さらに驚くべきことは南野村は江戸時代後期は尼崎藩領だったらしい。尼崎までは、いくつも町があるのだが、それらの町は、南野村だったことを考えれば、隣接していた。と言うより、尼崎藩に属していたのだ。これは明治まで続いたのだろう。江戸後期の話なので、それ以前は、また別だろうが。
 だから、南野村のお隣が富松村で、蛸の写真を撮ったのも、この富松だ。
 どちらにしても、南野村の墓が見付かっただけでも、謎が解けた。しかも古墳の上にあったのも驚きだが、それよりも南野村に古墳があったのだ。
 この古墳の上の墓地。中に入ったことはない。きっと入れば、馴染みの名がずらりと並んでいるだろう。


 
 


■■ 2016年06月23日 木曜日 午前7時12分
 
 今朝も雨。梅雨なので、そんなものだろう。これが梅雨でなければ、雨が最近多いので、何だろうと、不思議がるだろう。それを不審に思わないのは、梅雨という言葉があるためだ。当然梅雨という言葉の意味があり、これは現実の現象を差している。雨が多いとか。だから、これで納得する。実際には不満だが、理解はする。細かい箇所では謎が多いが、大まかには不思議な現象ではないと。
 朝、寝起きの喫茶店までの道で降られると往生する。幸い今朝は小降りになっていた。梅雨、それはこの一点に集中する。影響が出るのは、ここだ。傘を差したくない。それだけかもしれない。
 朝だけではなく、何度も外に出るので、その間だけは降らなければ好ましい。部屋にいるときは、いくら土砂降りでもかまわない。
 この雨で、田に水を引っ張り込むのが楽になるかもしれない。堰を取れば水は得られるが、雨だけでも、結構溜まるはず。逆に溜まりすぎることもあるようだが、抜く場所がある。水は多ければいいというのではないようだ。要するに原産地の水田、これはただの湿地だろう。
 田植え後、しばらくの間だけ水が入る。稲刈りの頃、水などない。いつ抜いたのかは分からない。流石にそこまで見ていない。
 しかし、田に水が入ったときは、一種の洪水だ。堤防を決壊させたようなのなので、水が流れ込む。この上流は大きな川だ。まあ、水位は大したことはないが、水捌けが悪かった昔なら、大雨が降れば、これぐらいの水溜まりはできる。無理に捌けないように止めているので、目立つのだろう。
 田植えを終えたあと、まだ苗の塊、これは苗床での状態だろうが、それが残っている。非常に密度が高い。余ったのだろうと思っていたが、そうではなく、補給用。うまく植わらず、横に寝たままの苗もある。そこだけ植え直すため、残しているのだろう。予備だ。こういう等間隔で植えるのは、凄い手間だが、今は田植え機なので、簡単かもしれない。昔は竿とか、糸とかを使っていたのを覚えている。
 泥田なので、足場が悪い。腰が痛いだろう。バランスが取れないのだ。足場を微妙に変えられないため。だから、上半身だけで体重移動させるため、蝶番の腰を痛めそうだ。さっと一歩足を移動させれば、すむ話だが、足が動かないはず。
 水田状態のときは戦も避けたのだろう。それ以前に兵は田植えをしているので、集まらない。
 田園風景というのはモロだ。結局はご飯を作っているのだ。これを作って食べていけば生きられる。働くことでご飯が食べれるのだが、そのご飯そのものを作るのだから、モロであり、ダイレクトだ。ただしすぐにはできない。
 こういう稲作に関わるあれこれが文化になる。神様も必要だろう。何せ自然現象に近いので、凶作だとご飯が足りなくなる。それに定着しないといけないので、他へ移動できない。
 ただ、稲作だけをやっていたわけではないし、また米を食べない人達もいたはず。そちらはそちらで、別の文化が発生したのだろう。まあ、田圃の方が年貢を取りやすかったはず。お国の規模を石高で表されたりする。
 ただ、年貢は米俵だけではなく、布や木材や特産物も多かったようだ。米だけを作る人だけがいたわけではないので。
 山暮らしで、狩りなどをしていた人より、田圃を耕していた人達の方が争いが多かったような気がする。所謂水争い。水田なので、水は大事。その取り合いで揉めたりしたのだろう。
 楠木正成の家などは、そういった水利に関する親方のようなもので、水を管理していたようだ。地名でも残っている。
 近所の農村にも、水利組合があり、これは他村との関係だけではなく、村内での水の配分の取り決めなどを仕切っていたのだろう。村内の話なら、村内で解決が付くが、村と村の間での揉め事は、仲介したり、調整したりする人が必要になる。だから、強い目の領主を農民が選んだりする。これは中世の話で、江戸時代の話ではない。政治家はここで出てくる。調整役だ。
 ゲーム信長の野望でも、武将の位がある。一番下が「代官」これは村規模だろうか。次が「郡代」で、これは複数の村が集まったもの。そこから先は、戦闘モードの位になり、組頭や、足軽頭。武将。中老などとなる。
 村では鍛冶、製鉄所、木工所、水田、畑、寺社、演舞場、茶室、聖堂。外人町等々、ものすごい種類の投資がある。当然練兵場、町屋、水車、潅漑工事、教会まで作れる。水田は川と接していないと作れない。畑は作れる。一村の規模としては大きすぎるので、これは郡代だ。というより、城下町規模だが、場所的にはお城はなく、館がある程度。しかし武家屋敷もある。
 要するに稲作がメインだが、これはゲーム的な規制で、米がないと出陣できないし、少ないと、兵も少なくなる。だから、稲作を怠り、舞踏場などを作っていると、米が足りなくなる。しかし、職人が集まる場所では、歓楽施設があると、人の集まりもよく、鍛冶や木工、採掘などが捗る。木工を怠ると、建物が作れない。
 それらは、オートでできる。お任せモードに入れておけば、家臣が適当にやってくれるが、自分でもやることができるが、戦闘中、そんな細かい村仕事はできない。


 


■■ 2016年06月22日 水曜日 午前7時05分
 
 今朝は曇っている。雨は降っていない。朝の気温は高い目だ。雨空のためだろうか。昼間の気温も高くないらしい。曇っている日の方が温度差が少ない。こちらのほうが過ごしやすいかもしれないが、陽射しはない。
 しかし、昨日も曇りか雨の予報で、実際にそうだったのだが、陽射しが出た。ぎらぎらの太陽が出ている。だから、晴れたのだ。予報では太陽マークが一切なくても、晴れるときがある。そういう日の雲は、空が荒れているためか、妙な形をしている。
 しかし、梅雨時は鬱陶しい。湿った空気、蒸し暑さ。炊いたご飯をそのままにしていると、腐り出す。おかずもそうだろう。冷蔵庫がない時代、どうやっていたのだろうか。お櫃に入れて涼しいところに置いていたようだ。蓋は簾。おかずも蓋などはせず、水屋にも入れず、折りたたみの蚊帳のようなもので蓋をしていた。家の中に涼しい場所があったのだ。それ以前に食べきったのだろう。
 腐っているかどうかは匂いで判断。また、舌が酸っぱさを感じると、そこで終わり。それ以上食べない。そういう感覚が徐々に減ってきている。匂いだけで賞味期限が分かるのだが、これはかなりすぎてからだろう。まあ、そこまでは大丈夫だった。一番分かりやすいのは見た目だ。形が崩れ、色が違っている。流石にカビが生えてくれば誰でも分かるのだが。一晩ではそこまではいかない。
 お櫃というのは木で、これは水分を木が吸収してくれる。だから、樹脂製のお櫃ではだめ。今お櫃など常用しているのは寿司屋程度だろうか。魚よりもご飯が大事だ。酢飯は腐りにくい。
 昔の家にはそういうことに通じた婆さんがいて、この婆さんも実は嫁で来たので、その家の様子を昔から知っているわけではない。しかし、涼しい部屋とか、風通しなどには詳しい。それは実家で見てきたためだろう。近在なら気候も同じ、家も似たような造りだろう。
 当然小さな子は、親たちの家の者の動きを子猫のように好奇心一杯の目で見ていたはず。学ばなくても、それを真似るようになる。例えば蒲団の扱い方や、掃除の仕方、洗濯の仕方などだ。記憶はないかもしれないが、ねんねこに背負われながら、見ていたのかもしれない。これは小さすぎて、忘れているだろうが。
 よちよち歩きの子供は危ないので、紐で括っていたり、籠に入れていたりする。賢い犬がいれば子供の番をするが、犬は屋内には入れないので、これは外だけ。犬はあくまでも番犬で、これは放し飼いだ。
 そこが村なら、顔見知りばかりなので、あまり吠えたりしない。
 犬は買うようなことはなく、子犬をもらったりする程度。または野良がうろついているので、いつの間にか棲み着いてしまったりする。まあ、餌をやるからだ。
 腐りかけの食べ物、捨てるにはもったいない。犬か猫にやる。
 
 昨日は南野村の墓場探しのついでに、少し遠いところにあるスーパーでエビチリを買う。ご飯や野菜はあるが、メインのおかずがない。それでおかず買いだ。そのエビチリの海老、結構大きい。小エビが固まっているのだろうと思っていたのだが、そうではなく、それで一尾だ。大きな海老が丸くなっていた。これは普通の天麩羅うどんの海老としても使えそうな長さだ。これだけ大きいと文句は出ないだろう。尾が小さいのもいい。尾だけがばかでかい天麩羅うどんの海老がある。あれで欺される。身は長さの三分の一ほどで止まっているのだ。
 おかずがないとき用に厚揚げを買う。これがあれば、何とかなる。夏場は焼いたものが食べやすい。
 さて、南野村の墓場だが、昨日見た墓場を確認しに行く。そこまでは南野村。その表示が続き、墓場前で消える。そして、墓場の表示を見ると、野間。だから、やはり境界線にあった。野間から見れば、村はずれ、そちら側の墓地だった。これは墓石の名を見れば、確認しなくても、分かる。
 そうなると、南野村の村はずれが臭い。その一方は野間村に取られたので、御願塚村との境界線辺りが臭い。ここには大きな墓があるので、それは御願塚村のものだろう。しかし確認していない。その墓の近くは毎日通っている。
 しかし、これが南野村の墓だとすると、御願塚村の墓がなくなってしまう。御願塚にある墓はこれだけのはず。他に見た記憶はない。
 しかし、南野村も御願塚村も結構広い。今では別の町名になっているが、そこも南野村だった時代がある。いずれも田圃だったところだ。
 南野村のもう一方の端は富松村。その途中、安堂寺とかの地名がある。しかし、寺はない。ここまで来ると遠すぎる。
 臭いのは南野村と野間村の間にある車塚、長沢という町名だ。このあたりに墓があったのかもしれないが、やはり遠すぎる。もう一方の境界線は堀池になり、こちらは近いが、墓などはない。堀池には立派な墓がある。その境界線あたりに南野村の墓があるのではと、頭の中で探すが、見た記憶がない。
 南野村に中学校があり、その敷地辺りが臭いが、新幹線なら仕方がないが、学校なら墓場の上には立てないだろう。田圃ばかりのところだったので、その横に立てればいい。
 野間村の墓は小学校の裏、これはやはり墓にかかるので、避けて建てたものと思われる。昔はここも全部田圃だった。
 平地にある村の墓場は村はずれ、田圃の中にある。このあたり、真っ先に宅地化され、墓は家で取り囲まれてしまい、表通りからは見えなくなる。だから、探すのが大変だ。昔なら田圃から見えたのだろう。
 御願塚村との境界線近くにある墓がどうも臭いのだが、そこが南野村の墓だとすると、今度は御願塚村の墓を探さないといけない。御願塚には古墳があるので、それでいいではないかというわけにはいかない。
 やはり新幹線が通ったとき、墓を壊したのかもしれない。しかし、その場所、徒歩散歩で毎日歩いているが、墓場がある場所としてはふさわしくない。農家が密集しており、そんな近くには墓場はないはず。近在の村の殆どは村はずれにあるためだ。
 新仏が出ても、その墓を作る余地などもうないので、先祖代々の墓として纏めている。個人名はない。それが残っているのは、日清日露、太平洋戦争で村から出征した兵隊さん達の墓程度。こちらは普通の墓より背が高い。そして、陸軍伍長とか、一等兵とか、階級名入りだ。戦死すると二等兵でも一等兵や、もう一つ上の階級になるようだ。このあたりの村から出征し、戦死した人がいるのだろう。これは全国の村々でも同じことだ。
 また、何々家先祖代々の墓石は、新しいものに変わっていたりする。怖いのは白いもので包まれた墓石だ。また、村には同じ姓の人が多くいるので、先祖といっても、ある代で区切られるのだろう。遠い親戚になりすぎたため、もう他人と変わらないし、先祖の取り合いになる。一応分家したときに、その初代が先祖になるのだろうか。
 まあ、それを言い出すと、先祖は全てアフリカの一人の女性になってしまうのだが。
 
 
■■ 2016年06月21日 火曜日 午前7時13分
 
 今朝は雨で、大阪は大雨が降っていたようだが、伊丹方面はそれほどでもない。よく降っていたのは熊取。大阪の熊取、何処だろうかと思うだろう。大阪と言っても大阪府のためだ。
 幸い起きたときは雨音がしていたが、喫茶店へ行くときはやんでいた。雨のち曇りという感じだが、そのあと晴れるのではなく、ずっと雨空のようだ。一週間先も同じように曇っている。所謂梅雨。
 しかしずっと降っているわけではなく、曇ったままとか、晴れたりもする。陽射しも出るのだ。
 今回の雨は、九州から来た低気圧で、大阪の真上を通過して東へ抜けるのだろう。殆ど台風だが、風はない。
 ちなみに熊取は熊取町で、能勢も能勢町だ。能勢市ではない。所謂市町村と言うことだが、大阪府にも村はある。千早赤坂村が有名だ。実際には、市より、村の方が面積が広かったりする。山が含まれるためだろう。しかし、人口が問題で、何人住んでいるかだろう。
 市役所、これが町なら、町役場になる。村も、村役場だ。村役所とは言わない。しかし、「役場に行ってくる」はあるかもしれないが「役所に行ってくる」はないと思う。
 市役所は、最初に耳から入ってくる。「しやくしょ」と。それが何を差しているのは分かるが、漢字で知るのは後の話だ。先に「音」が来る。
 昨日は夕食後、まだ明るいので、徒歩散歩ではなく、自転車散歩を少しだけした。夕涼みだ。昼間は暑くて走れないが、夕方を過ぎると、日陰を選ばなくても良くなる。しかし、遠くまではいけない。喫茶店からの戻り道散歩よりも距離は短い。
 それで、近所をウロウロしているとき、小学校がある。これは最近できたもので、昔はなかった。もし今の時代に生まれていれば、この小学校の方が近いかもしれない。微妙なところだ。今はどうなっているのかは分からないが、やはり少しだけ遠いのかもしれない。しかし、少し先の町内だと、ぐんと近くなるので、そちらへ通うのかもしれない。
 昔通っていた小学校は御願塚にあったと思う。校舎の裏が御願塚の神社だった。
 そして、昨日行った小学校は、南野村と野間村の間にある。おそらくまだ南野村だろうと思うが、地名は車怩セと思う。村内に、さらに地名がある。その小学校が南野村なら、南野村の人はそこへ通う方が早い。
 その小学校ができるまでは当然田圃が拡がっていた。その裏へ回り込むが、住宅地の中だ。だから、道が途中で消えるので、あまり入り込んだことはない。
 その小学校の裏側に回り込むと、墓が見えた。村の墓だ。これは知らなかった。しかし入り口が見付からない。それで、さらに回り込むと。農道跡が見付かり、それに沿った感じで墓の入り口が見付かった。完全に住宅に囲まれている。そこだけ、ポッカリと穴が空いたように。ジャンルが全く違う。
 しかし、記憶というのは恐ろしい。見た覚えがあるのだ。しかし、この墓へは行った記憶は一切ない。家から近いのだが、用がない場所のためだろう。
 その記憶が蘇り、この墓は子供の頃からあったのを、実は知っていたのだ。それは遠くから見た記憶だ。周囲は全部田圃で、その墓だけがポツンとあった。住宅で埋まったので、その近くを通っても、見ることができなくなっただけの話だ。
 その道とは、南野村のお隣の野間村へ行くときの道から見えた。
 墓石を見ると、馴染みの名が出てくる。しかし、これは南野村の先祖ではなく、野間村の人達だ。野間村に多い名字がならんでいる。
 するとこれは野間村の共同墓地で、野間村から見ればハズレにある。南野村から見ると、やはり外れ。
 最初南野村の墓地だと思ったのは、南野村には墓地がないためだ。それで、これがそれだと思ったのだが、違うのか、合っているのかは分からない。この地方、村には必ず墓がある。しかし、南野村にはない。
 それで、子供の頃の記憶を探ると、墓らしいものがあることを気にしていた。それは新幹線だ。それがすぐ近くを通ることが分かったとき、墓の上を走ることになる。南野村での墓の記憶はそれだけだ。それが墓だったのか、ただの石塔だったのかは分からない。
 それで、取り壊されたとしても、その痕跡がない。南野村には小さな寺がある。殆ど葬式寺で、坊さんが必要なとき、自前の坊主がいる方が良いためだろうか。他所からお寺さんを呼ぶより、便利だろう。
 そのお寺周辺を探索していない。表側は庭になっているが、裏側までは見ていない。そのお寺、神社のすぐ横で、殆ど並んでいる。敷地的にも寄り添っている。このお寺の庭に、石仏などが集められている。田圃の畦道にでもあったのだろう。
 この南野村は子供の頃からウロウロしているが、墓など見ていない。石塔のようなものが並んでいた記憶があるだけ。
 他村の墓は見付け次第入るのだが、それでも分かりにくいところにある。昔なら農道から見えていたのだろう。今は住宅で囲まれてしまい、探さないと見付からないが。
 さて、南野村の墓、これは聞けば分かるが、探し当てることにする。この村の殆どの道は知っている。どの道も通ったはずなので、そこから見えないとなると、ないことになる。
 ちなみにお隣の御願塚村には大きな墓地はあるが、お寺がない。これが不思議だ。この規模の村なら寺はあるはずなのに。この御願塚村の墓は南野村とも接する境界線辺りにある。
 御願塚とは、墓に関わる名だ。本当は五ヶ塚で、五つの塚があった場所。それは御願塚古墳の周辺墳のことだ。この御願塚古墳は、さらに古墳群の中の一つだが、これが一番大きい。だから、この勢力の最盛期の頃にできたものと思われる。それとは関係はないかもしれないが、お寺がない。あってもおかしくない大きな村なのに。昔はあったのかもしれない。
 または村寺ではなく、もっと大きな寺社と関係していたのかもしれない。
 意外と近所過ぎるので、探索しにくい。
 

■■ 2016年06月20日 月曜日 午前7時18分
 
 今朝は雨はやんでいるが、曇っている。一週間予報ではずっと雲と傘が並んでいる。傘だけなら雨。雲だけなら、曇り。曇り時々雨か、曇りのち雨かは分からない。曇りの後ろに矢印があり、傘が後ろにいる。どちらにしても太陽マークがない。
 こういう並びが続くと梅雨らしい。既に南の方は梅雨明け。太陽マークが一週間ほど続いている。
 今朝は気温的には高くはないのだが、蒸し暑いので、朝の喫茶店へはジャケットなしで行く。そんなものを着ている人はいない。半袖やTシャツ一枚の人もいる。長袖のポロシャツを着ていた人も半袖だ。
 曇りや雨でなければ、晴れで、晴れれば真夏の暑さになるので、曇っている方がいいのだろう。
 昨日は一日雨で、何度も外に出るのだが、その度に濡れる。傘は差していても靴が濡れる。すると、靴下が濡れる。当然ズボンも濡れるが、これはすぐに乾く。
 徒歩散歩のとき、雨が降っていると、傘を差してまでは出ないが、やんでいると思い、出ることがある。しかし用心のため、傘は持つ。そして、途中で降ってきたとき、傘を差す。すると、安定する。これは何か。傘をぶら下げたり座頭市のように杖のようにして持っているよりも、パッと開いた状態で差している方が歩行が安定する。だから、傘を差している方が歩きやすい。これは簡単な話だ。綱渡りで傘を差しているのと同じで、バランスが取りやすいのだ。座頭市は地面の様子を確かめながらなので、杖は下を向けているが、普通の老人がつく杖、あれは傘にした方が歩きやすい。躓いたときは、傘でバランスを取る。風が強い日は風よけと言うより、ヨットのように、風を受け、風に乗ったりできそうだ。歩いているとき、手や腕はあまり使わない。僅かに振るだけ、これがバランスになるのだろう。昔、アチャコ走りというのがあり、腕を前後にではなく、横に振る。しかしこれは明治時代からの軍隊式歩き方を小学校から教えだした日本人の歩き方で、それまでは古武道式の腕の使い方だったに違いない。つまりアチャコ走りがそれで、スピードを求めない走り方だ。映画無法松の一生で、運動会のとき、無法松が走るのだが、それが早い。輪タク屋のため、当然だが、このときの腕の使い方は輪タクの梶棒を握る状態と同じ。これは演出だと思うが、小さな子供の走り方を見れば、本来の走り方が分かるかもしれない。足ではなく、腕の使い方だ。おそらく泳いでいるような、またはバランス重視の使い方のはず。
 能などの歩き方も参考になる。腕はまったく使っていなかったりするし、足もすり足だ。
 まあ、袴や着物では足を大きく伸ばせないので、小走りが原則なのかもしれない。走らないといけない職業では、褌一丁、猿股程度。腹を締める必要もあったのだろうか。飛脚の服装を見れば、参考になる。
 そういうのを見て、独自の走り方をマスターし、オリンピックに出ると面白いのだが。
 中学生あたりでのマラソン大会。これは全員参加の場合だが、フォームなど知らない。だから無茶苦茶なスタイルで走っている。それが陸上部の生徒より早かったりした。
 
 昨日は日曜だったので、家電店のエディオンへ寄る。平日だと客がいないので、目立つためだ。
 25000円の9インチノートパソコンはまだ置いてある。マウスコンピューター製だ。前に見たとき、ネットで軽く調べたのだが、直販より安い。ということはエディオンでは有り得ないし、他店でも有り得ない。これは旧製品だろう。案の定ネットでレビューがあったので読むと、以前の機種よりも、と言う言葉が見付かる。
 デジカメコーナーでは、新製品が出ていた。ニコンの電子ファインダーなしのネオ一眼。これは既に中身は知っているのだが、発売日がまだ先だったのだろう。コンパクトカメラ系は他社は撤退気味なので、ニコンの元気さは喜ばしい。特にコンパクトではないネオ一眼系は。
 このカメラ、特徴は背面液晶が回転する。横開きではなく、縦に。電子ファインダー付きの普通のネオ一眼は横開き。これはファインダーの出っ張りで背面液晶を立てにくいためだろう。ファインダーをなくすと、縦開きにできるのかもしれない。縦開きに拘っているのはソニーだ。ファインダー付きでも縦開き、しかし液晶は小さくなる。
 ニコンのこの新製品、縦開きで液晶も大きい。小さくしなくてもすんだのはファインダーを取ったためだろう。あとは普通のネオ一眼と同じだが、かなり小さい。ネットなどで写真で見たときは、もっと大きいと思ったのだが、意外だ。しかし、グリップは突き出ており、レンズも飛び出しているので、普通の一眼レフを模したネオ一眼だ。ただ、ファインダーはない。
 その他の特徴は広角端が28ミリでも25ミリでも24ミリでもなく、22ミリ少し、かなり広角だ。この画角、古いタイプのネオ一眼でもあった。21ミリに近い。しかし、上位機のネオ一眼機は21ミリスタートだ。こちらは2000ミリまであるので、化け物だ。
 24ミリでもまだ写る範囲が狭いと感じる人もいるはず、22ミリ半なら、少しだけ拡がる。これは画面が少し拡がる程度だが、風景だと、結構違う。入り込むか入り込まないかの数ミリの違いでも絵が変わる。
 このカメラ、以前買った富士の年寄りカメラの高級版のようなものだ。グリップ、つまり杖付きカメラの上等なタイプだろう。このタイプ、キヤノンにもあり、さらに小さく、軽い。しかし、頼りなさがある。
 富士の老人カメラも気楽に持ち出し、気楽に撮しているのだが、これで、液晶が回転すれば、もっと良い。下の方にあるものを写すとき、腰をかがめる。これは老人の天敵だ。こんなとき、液晶が回転すれば、しゃがまなくてもいい。そういう姿勢のとき、カメラが小さく軽いと不安定だ。ある程度の重さ、大きさが必要。
 発売はまだだが、ニコンの旅カメラ系、つまりポケットに入る高倍率コンパクトも液晶が縦に回転するようになった。以前は横開きだ。そちらは高い。
 その新製品を見学し、次は一眼レフを見る。ソニーのα6000の新型が出るはずなので、またはもう出ているかもしれないが、エディオンにはない。その影響で、α6000が安くなっているのではないかと思ったが、そんな気配はない。
 α6000,キタムラ中古でボディーだけで4万円代。名前が変わる前のシリーズタイプの6はダブルズームキットで4万円代。
 だから、α6000と、新製品との違いは、大したことはないらしいが、旧シリーズとの差はかなりあるだろう。売りはAFの速さだろうか。ただ早いのではなく、動いているものに合いやすい。まあ、普通の風景なら問題はないが。
 このα6000、デザインが良い。必要以上にメカメカとしていないところが好ましい。レンズも触ってみたが、他社のキットレンズに比べ、滑らかで金属っぽい質感があり、精密機械感がする。当然ボディーも昔のニコンSやコンタックスのレンジファインダの。それはレンズがツアイスのためだろう。
 液晶ファインダーは小さいが、上下に回転。ボディーは一眼レフなのに、薄いカード型。かなり薄い。そこにグリップが少しだけ出ている。シャッターへの指の係は自然、すんなりしている。つまり板状カメラなので、把握しやすい。だから、これは昔の一眼レフカメラではなく、レンジファインダー系のカメラなのだ。ミノルタから引き継いだ一眼レフタイプとは違うものを、ソニーオリジナルで出したものだ。そのため、マウントを二種類背負い込むことになるのだが。
 まあ、コンパクトで、メカニカルなソニーオリジナルタイプの方が軽くて好ましいのかもしれない。
 ただ、標準ズームは電動式で、しかもレンズ側のレバー式なのは、今一つだ。安いタイプのボディーではボディー側のレバーでズームできたはずだが。これは小さく収納できるので、これでいいのだろうが、ソニーのデジカメは、操作面での癖がある。
 このα6000に、単焦点レンズを付ければ、様になる。

 


■■ 2016年06月18日 土曜日 午前7時18分
 
 今朝は20度を切っている。しかし、最高気温はかなり上がるような予報だ。しかし、朝起きて予報を見ると、最高気温予報が下がっている。現実を見て、予報を変えたのだろうか。涼しい目の朝の方が、昼間高温になる可能性が高い。これは夜の気温が影響しているのだろうか。
 土日は暑い。これは一週間ほど前から予報されていた。かなりの高温で32度とかだ。昨日の予報でも35度になる場所などもあった。大阪でも31度ほどだろうか。京都はもっと暑い。35度の予報は大きな都市ではなく、スポットだ。
 都市の気温、これはNHKでは大まかで、大阪の近くは京都、これは近い。そして名古屋、西になると、かなり離れる。高松だろうか。そして広島。大阪京都間に比べ、高松は遠すぎる。高松は瀬戸内代表なのだろう。東京の西側はいきなり名古屋。間に一つほどあったように思えたが、忘れた。静岡があったかもしれない。または中部の都市。大阪から見て遠いので、あまり見ていないので、記憶がない。パッと一画面で見られるのだから、分かるはずなのだが、大阪ばかりを見ている。まあ、それは関係がないためだろう。
 南の方は梅雨明けしたようだ。一週間ほど晴れマークが続いている。そして、梅雨前線が消えている。これは千切れただけで、またできるのだろう。
 今朝は久しぶりに晴れており、しっかりと陽射しがある。昨日は予報最高気温に達せず、結構過ごしやすかった。陽射しが来なかったためだろうか。やはり陽が当たらないと、気温は上がらない。
 それで、一番暑い時間帯を少し過ぎたところで、自転車散歩に出る。これは喫茶店へ行くまでの道を、少し大回りするだけで、遠征ではない。あまり暑くなかったので、これなら遠征もできたのにと思うのだが、これも天気予報が効いている。最高気温を見て、やめている。しかし、実際にはそれほど暑くはない。ここが何か妙だ。ただ、それが当たっていて、もの凄く暑いのに、出掛けて、しんどい目に遭うかもしれない。問題は気温と体調だけ。暑ければバテる。それだけのことだが、最高気温が出る時間帯が大したことがないことが分かれば、予報は外れているので、これは出てもいいのだ。そういう予報は夜や朝に見る。夜と朝との予報は変わっていないが、お昼の予報を見れば、変化していていたはずだ。そんなに暑くはならないと。
 まあ、これは当日、行く前に見れば分かる問題だ。長い目の自転車散歩と言っても2時間程度。出発時の気温と大した違いはない。
 それで、昨日は陽射しがあっても、特に日陰に入らなくても、走れた。しかし、僅かな時間というか、短いコースなので、あっという間に終わり、いつもの喫茶店に入る。
 近場の散歩だったので、いつも入らない道へ入る。それは工場地帯だ。何もないので、普段は立ち入らない。大きな工場の敷地沿いの道で、住宅地はないし、店屋もない。広い私有地が続いている場所で、実際には謎の一帯。立ち入れない一帯だ。工場の敷地内、これは本当に工場なのかどうかも疑わしかったりする。
 まあ、田圃もそうだ。複数の農家の私有地だ。田圃が拡がる村。それは全部私有地。だから、本当は、そこに立ち入ってはいけないはず。しかし、見晴らしがいいので、隠されているわけではない。それに塀はない。
 まあ、普通の人が立ち入ることができるのは、道や店屋や公共施設程度だろう。
 昨日のカメラはパナソニックのミラーレスに望遠ズームを付けたものと、同じパナの高級コンパクト。こちらで広角側をフォローする感じだ。これが28から280のズームがあれば、カメラは一台ですむ。まあ、ネオ一眼や旅カメラなら、一台で何でも撮してしまえるのだが。
 50メートルほど離れたところにいる人を撮すと、その背景が少しボケる。コンパクト系よりもボケやすいので、背景の整理ができると言うより、人物を浮かすことができる。それで、このネオ一眼と望遠のコンビを使っている。ネオ一眼でも超望遠にすればしっかりとボケるのだが、それでは背景が狭すぎて、何処にいる人なのかが分かりにくくなる。広角はできるだけ全部のピントが合った方がいいので、コンパクト系の方がいいのだが、望遠はボケた方が感じが出る。一眼レフタイプの300ミリほどのキットものレンズは、それほど望遠ではないが、よくボケる。受光素子の大きさがここで生きるのだろうが、広角側だと、コンパクト系と変わらない。だから、ボケるかどうかだけの話になってしまう。年寄りカメラとしてはボケた方がいいのだろうが、重く大きくなる。
 しかし、パナソニックやオリンパスのミラーレスは、結構小さく軽い。レンズも細いし、軽い。これは一般的な一眼レフに比べての話だ。特に高倍率標準レンズになると、パナソニックのレンズが200グラム台と、半分ほどだ。これで28から200ではなく、28から280ある。300あるのと、変わらない。だから、望遠系はパナソニックがいい。この28から280が欲しいところだが、それよりも、今使っている90から350ミリの望遠ズームの方が実際には軽くて細い。だから、取り回しは、こちらの方がいい。それで広角側がないので、コンパクト系も持ち出すことになるが。
 この二台で撮影に行くと、広角系はラフになる。
 それらは、一台でできるミラーレス一眼系ではなく、ネオ一眼系の1インチではどうかというのも考えている。同じパナソニックの25から400のネオ一眼だ。800グラムと重く、そして大きい。まあ、昔の富士のネオ一眼なら、そんな感じだが、1インチタイプのぼけ具合はどんなものだろうか。しかし、このカメラ、ぼてっとしており、締まりが無い。しかし、見た目は高いタイプの一眼レフほどの大きさがあり、押し出しが効く。見た目ほどの重さがないので、楽だ。800グラムなのだから。
 ミラーレスの良さは、すぐにデジタルズームに入れることができることだ。その境界線はない。だから350ミリのレンズなら700ミリになる。倍だ。400ミリなら800ミリになる。こちらはネオ一眼だが、中身は受光素子が少し小さい程度で、レンズが固定しているだけの違いだろう。ミラーレスは、結局はネオ一眼グループなのだ。レンズ交換できるかどうかだけで分けている程度。
 しかし、今のところ、型は古いがパナソニックのミラーレスが手に馴染んでいる。ここが悩ましいところだ。
 ここにニコンのコンパクトな一眼レフと300ミリまでの望遠が入ってくる。結構軽いのだ。これはキタムラで見ている。1インチネオ一眼よりもよくボケるだろう。
 
 
■■ 2016年06月17日 金曜日 午前7時08分
 
 今朝は雨はやんでいるが、まだ雲が多い。そのうち晴れるのだろう。予報では土日は暑いとなっている。昨日は気温が低く、雨だったので、当然昼間も上がらず、予報よりもかなり低い最高気温だった。どうも予報の気温は高い目に設定しているようだ。最低気温と最高気温の予報がそのままネット上に残っており、これは訂正できないのだろうか。最低気温は既に分かっている。朝方が一番寒いので、既にそれは過ぎている。しかし、予報は高い数値のまま。最高気温はまだ確定していない。これから出るかもしれないが、そんな高温になる可能性は、ないだろう。なぜなら、雨が降っており、昼前の気温は結構低い。どんな奇跡が起こって、そんな高温になるのかと、不思議に思うが、予報は予報。こういう予報をしていたという話だろう。フィクションのように見えてしまうが。嘘をつく気はない。リアルに、そう判断したのだろう。
 世の中何が現実かは分からない。これは捉え方で変わったりする。データが示す現実というのはあるが、実感が伴わない。データーは現実を見て、それを数値化したりしているのだろうが、人が見たわけではなく、機械が見たりしている。計っているのだ。実体が目や感覚では把握出来ないものもある。
 当然感覚でも分かり、数値でも分かるものもある。それは体温や気温がそうかもしれない。体重と体重計もそうだ。だから、測らなくても分かっていたりする。数値化するのは、誰かに見せたりするためだ。敢えて知らせまくる必要はないが、記録すれば、推移が分かったりするが、これも見たり、身体の動きで分かったりする。昔の人は、体重など量らなかったのではないか。必要がないからだ。見れば分かる。そして、他人に知らせるときも、大まかな言葉で分かる。中肉中背とか。何グラムまで示す必要はないのだが、ダイエットなどをしている人は、この1グラムが大事なのだろう。
 昔からの言い伝えも、必要がなくなれば、伝えなくなる。お婆ちゃんの知恵袋の中身も、年々減っていく。親から子へ、子から孫へと伝えるものも、目減りしていく。そういうのを伝える暇がなかったりする。
 半日ほど歩かないと着かないところへ、親子で出掛けたりした場合、その道中暇だ。だから、そう言う昔の話などを語ったりする。また、農家での単純労働のとき、そういう話でもして、飽きないように作業を続ける。それがラジオを聞きながら、などに変わった。当然作業が辛いときは、作業歌、これは民謡のようなものだが、それを歌いながら作業した。
 口承で、色々なことが伝わっていたのだが、今は口コミがそれかもしれない。一方は迷信になり、一方はデマになる。
 囲炉裏端が消え、茶の間の主はテレビになり、それもまたなくなり、スマホになったりする。そして、囲炉裏端はネットで復活していたりする。
 
 先日買い直したパナソニックの旅カメラだが、とりあえず何かカメラを持ち出して、というときには、これになる。それで出番が多すぎて、ゴミが入ったり、塗装がはげたりしたのだが、塗装は今回ははがれないものに変えたようだ。前の機種はぬめっとした感触で、それも良かったのだが。
 要するに24から720ミリあれば、何でも写せる。そしてポケットに入ってしまえる250グラム。背面液晶がきついときは、電子ファインダーで覗けるし、望遠ではさっとズームができる。ただ、ズームはそれほど早くはなく、また、一枚写してからの二枚目も、それほど早くはない。特に望遠端は。このあたり、大きい目のネオ一眼の方が早い。大きいだけある。
 望遠端は流石に甘くなるが、タッチは悪くない。かろうじて写し取った程度だが。だから、とりあえず写したという感じが、このカメラの特徴だろうか。
 同じ望遠でも、正月に買ったパナソニックのミラーレス用レンズは、流石に安定している。受光素子の大きさもそうだが、ファインダーもしっかりとしている。それほど解像力はないが、非常に見やすい。まあ、それだけカメラが大きく、グリップもあり、撮すときの安定感が違うためだろう。
 元気なときは、このカメラを持ち出せるが、日常移動中に撮すとなると、少し大袈裟すぎる。しかし、撮すときは非常に充実する。
 しかし、望遠ズームなので、テーブルものは無理だ。最短撮影距離90センチほどだろうか。しかし、ネオ一眼に比べ、最短撮影距離がズームしても変わらないので、計算しなくてもいい。
 28から280のズームも欲しいところだが、望遠だけに限れば、望遠ズームの方が素早いし、また小さく軽い。しかし、ネオ一眼の方が、よく写っていたりするので、複雑な気持ちだ。
 

■■ 2016年06月16日 木曜日 午前7時12分
 
 今朝は雨。小雨だが、喫茶店までの道で傘を差した。自転車に突っ込んでいるので、それを抜き、いつものようにさっと差したが、何かいつもと違う。しかし、いつもだ。この違和感は何かというと、アイデアル。チョボを押すと、自動的に開く、あれだ。そのため、片手でさっと傘を開くことができるのだが、これが違う。いつもの傘はその仕掛けはない。しかし、気付かず、チョボを押してしまったのだ。すると開いたが、不思議と思わないのは、それで当たり前のため。だが、いつも自転車に突き刺している傘は、そのタイプではない。少し走ったところで気が付いた。入れ替わったのだ。すぐに柄の部分を見ると、太いが塗装が剥がれている。これは自転車に突っ込み放しなので、日焼けして、そうなるのかと思っていたのだが、太い。だから握りやすい。そのため、この傘はやはり違う。だが、色は同じ。
 それで思い当たることがあった。朝の喫茶店での傘立てだ。モスなどではどん前に止めるので、傘は自転車に戻す。スーパーでも駐輪場の自転車に戻して、傘は持って入らない。いずれも自転車から僅かな距離で、濡れる前に屋内だ。ところが最近行っているコメダはドアまで少し遠い。そのため、傘を自転車に残さないで、差したままドア前の傘立てまで行く。ここで間違いがあったのだろう。それを思い出した。
 数日前の話だが、同じように雨の日、店から出て、傘立ての傘を抜こうとしたとき、位置が違う。何かの都合で移動したのかと思いながらも、それほど気に留めず、その傘を持ち帰った。幸い雨はやんでいたので、開かないで。そのとき、傘立てにはビニール傘が二本あるだけ、だから、自分の傘を間違えるはずはない。ただし色目だけで判断してのことだが。
 傘立てに残っているのは三本、そのうちに二本はビニール傘。それだけで、自分の傘がどれかは決まったようなものだ。
 その後、その傘を開いていない。今朝初めて開いて、それが分かった。間違えた人も、気付いているはずだが、色が似ていたのだろう。しかし、柄が太いので、強風の日など、握りやすい。結構力がいる。そして、細いとか、短いとかだと、指が痛くなる。
 また、自動的に開く傘は重宝する。いつもの傘はそうではないのは、鉄道忘れ物市でさっと買ったためだ。このとき二本買っている。一本目は既に置き忘れて、なくしたが。その傘を差していた時期が長く、それが一発で開くタイプだったので、その癖がまだ残っていたのだろう。
 梅雨時に入ったが、今年はスーパー屋台に忘れ物市が来ない。毎年来ており、5月頃のこともある。そのスーパー、改装中で、当然屋台もない。
 その二階に衣料品店があるのだが、そこも改装中のようで、幕が張ってある。改装しても、同じものを売っているのだから、変化はないが、置き場所が変わると、少し迷うだろう。
 そのスーパーや衣料品店が休みなので、このモールの客が減るのではないかと思っていたのだが、自転車の数は相変わらずで、あまり影響はなかったようだ。また、もう一店あるスーパーを覗いたが、客が一杯というわけではなく、いつもの暇そうなレジで、並んでいる人もいない。一店が休みなので、開いている方へ行くということもないようだ。
 昨日は餃子を買う。これもショッピングモール内にあるが、市場のようになった場所だ。焼いたものがなく、五分ほどで焼くという。いつもは焼いたものが陳列されているのだが、昨日は売れたのだろう。五分の待ち時間、これは面倒だ。それと、万札を何処かで崩したいのだが、この中華屋では無理なので、いつものようにスーパーの煙草売り場になるのだが、休みだ。そして、餃子を買う前に、もう一店のスーパーも覗いたのだが、煙草は置いていない。
 それで、中華屋のオバチャンに聞くと、自販機があるはずと、方角を教えてくれた。自販機では仕方がないが、五分の待ち時間、暇なので、そちらの方へ向かう。勝手知ったる場所だが、煙草の自販機など確認したことがない。
 少し歩いたところで、後ろから小柄で老いたオバチャンが来て、喫煙室に自販機があると、教えてくれた。火は大丈夫なのか、餃子を焼いている最中のはず。この中華屋、ただの個人商店で、よくある町の中華屋だ。大衆食堂のようなものだ。特徴も何もない店なのに、モール内の良い場所にある。
 こういう庶民性がこのモールの特徴で、西武から平和堂になってからだ。それで、イオンよりも賑わっている。スーパー前の屋台や、メイン広場での屋台で、古着市や、小物市が出たりする。賑わいというのは、広い場所ではなく、狭い場所で、ゴチャゴチャ並んでいる方が、取っつきやすい。
 それで、餃子を持ち帰り、夕食のおかずにしようと思っていたのだが、せっかくのオバチャンの焼きたてなので、すぐに食べてしまった。

 信長の野望は、紀州の鈴木家でやっているが、美濃も尾張も取り、今川を追い込んでいるとき。北条が武田に攻めかかった。これは武田の負けだろう。攻められると武田は弱い。これは城数は多くても、山間部なので、兵が少ない。しかし武将は強い。ただ、会戦後は攻める側も兵が減る。だから、何度もしつこく攻めたりすると、兵が足りない。当然、攻められると、最初は追い返せるが、そのとき兵が減る。その補充が遅いし、城に集まる兵が元々少ない。ところが北条は兵が多い。城数が多く、しかも大きな城には大軍がいる。それを次々に送り込めば、武田は亡びる。
 それで、武田の城が徐々に北条になりつつあるので、尾張、美濃から武田の城を取りに行く。既に兵は少なく、簡単に取れる。しかし、このまま行くと北条とぶつかってしまう。少し時期としては早い。
 結局北条と全面戦争になるが、上杉まで武田の援軍できて、始末に悪い。このあとは消耗戦だ。前回はそれで買ったが、北陸や上杉領を取ってからの決戦だった。三方か四方から攻め入り、敵を一箇所に引き付けておいて、別の城を取ったりしない限り、真正面からでは川中島になってしまう。つまり、戦うだけで、領土は増えない。領土、ここでは城だが、城を奪うと、兵が増える、逆に敵の動員兵力が減る。そう言うことだ。
 
 


■■ 2016年06月15日 水曜日 午前7時11分
 
 今朝も曇っている。昨日の朝も曇っていたが、しばらくして雲が割れだしたが、それほどすっきりと晴れなかったためか、気温は31度の予報には達しなかった。陽射しが遮られることが多かったためだろう。やはり朝の雲が尾を引いたのだろう。今朝はどんよりとした雲が多いが、陽射しがある。これは雲に隠れたり、出たりだ。昨日は、陽射しがたまにしか来ない曇天だったので、その違いがある。
 晴れて暑くなると脅されると、自転車散歩に出る気がしないのだが、その頃になっても、気温は上がらず、陽射しも少なく、これではいけるのではないかと思うことがある。予測と現実は違う。特に天気予報は当たるも八卦、当たらぬも八卦で、当たらなくても苦情は少ないだろう。しかし屋外でのイベントか、行楽などで、雨を心配している人もいるはず。しかし、天気予報は外れる、と言うことを知っている。
 当然、昨日の予測最高気温が違っていても、それについては触れない。そんなことを言い出すと、毎日、外れてましたと言わなくてはいけない。
 しかし、何処かそれが痛快なところがある。
 映画八甲田山。これは明治時代、日露戦争の前の話だが、冬の八甲田山を完全武装の歩兵が越えられるかどうかの実験のようなものだ。ロシア軍が津軽海峡から上陸してきたことを想定している。
 当時既に低気圧という概念があり、太平洋側から八甲田山へ低気圧が北上しているという情報を得ている。この当たりの山岳ものは新田次郎が得意だ。気象庁にいたからだ。
 だから中止、ということにはならない。そういう状態でも越えられるかどうかが知りたいのだ。そして、どの程度の被害が出るかも。越えられなくてもいい。どうして越えられなかったのかの原因が分かればいい。
 実際には晴れていれば、越えれただろう。地元の人でも、冬の八甲田山には近付かない。晴れていても、山の天気は変わりやすい。
 一方は雪ん子のような女性が道案内。一方はそんなものいらないと言って、出発する。この二隊が出合う場所がある。
 では、なぜ道案内を断ったのか。これは磁石があるからいらないと、言っていた。文明の利器だ。その磁石が狂ったのではない。方角は分かっていても、道があるわけではない。その道は、地元の人は何となく山の形とか、特徴のある木とか岩とかで知っている。方角は合っていても、山の壁にぶつかるとかだ。
 それで、二隊の差が出たのではなく、一方はそれほど吹雪いていなかったのだ。天気が分けた感じになる。同じ山や山際でも、場所により、天気が違う。そして無事だった隊も、土地の案内人が先導したので、道に迷わなかった。この雪ん子のような案内人の足は兵隊よりも健脚で、すいすいと登っていく。兵は追いつかない。そして、到着後、案内人は一人で村まで帰るのだが、それを全兵頭右の最敬礼で見送る。この映画で、一番いいシーンだろう。案内人秋吉久美子、隊長高倉健だ。
 土地の人が賽の河原だったと思うが、といっているところがある。それを知っているのだ。きつい場所を。
 天運というのがあり、天気の運ではないが、天のみが知る世界は、いくらでも日常の中にある。
 
 昨日は定期中古カメラ見学の日。いつものカメラのキタムラへ見に行くが、平日だった。これは客がいないので、目立つが。
 中古の足は速いが、山のように動かないタイプもある。
 今回はソニーのミラーレス二機種。これは人気機種で、ファインダーの付いたタイプ。価格的にはオリンパスの電子ファインダー付きミラーレスと同じ。ソニーは平面的なデザイン。これは売れ筋で、人気がある。ファインダーが付いているためだ。
 その新旧二機種が、並んで売られているのは、前回見たオリンパスOMデジタルと同じような組み合わせ。高い方は新しいタイプで標準ズーム付き、古いタイプはダブルズームキット。それで値段はほぼ同じ。その差はボディーが新型のためだろう。といってもまだ古いが。
 それと同じことをソニーの二機種でもやっている。しかし新しいタイプは、レンズなし。ボディーのみ。だから、オリンパスよりも高い。いずれも4万円台。これは受光素子の大きさが、少し値段を上げているのかもしれないが、人気機種なので、そんなものだろう。しかし、ソニーのそれも、さらに新製品が出ているので、古くなっている。
 驚くのはニコン5300が早くも出ている。現役機のはずだ。これがダブルズームぅキットで4万円台、ほぼ5万円に近い。新品より1万円安い程度だろうか。小さく、そして軽い。レンズも二本共沈胴式。ネオ一眼よりも軽かったりする。
 ペンタックスのS1だと思うが、それが35000円と強気。これはそれなりに古い。しかし、ファインダーが大きく、視野率100パーセントが効いているのだろう。ファインダーがいい。だから、現役ニコン機よりも高いと言うことだろう。中古では。
 オリンパスOMデジタルの一機種は、売れていた。足が速い。安い方、ダブルズーム付きのが先に売れていた。古いが望遠ズームも付く。
 目新しいのは、ニコン5300だろう。これは最新機5500から背面液晶の回転を抜いた程度。店頭で10万円近いのは、キットレンズの違い。望遠レンズが400ミリまであるタイプが付くため、高い。しかし、300ミリまでのキットなら、軽い。要は光学ファインダーで望遠を覗きたいという人向けなら、5300でいい。
 しかし、ソニーの平面的なレンジファインダー機のような6000系のカメラの方が、逆にカメラっぽい。ボディーがメタルのためだろうか。ライバルはオリンパスではなく、富士かもしれない。受光素子が一般的一眼レフと同じのためだ。このカメラは中級機で、その上はフルサイズの最高級機となる。
 このカメラ、クラシック系で言えば、ライカではなく、コンタックスだ。デザインもそれに近い。日本製ではニコンのレンジファインダー機に。
 結局、ミノルタから引き継いだマウントの、もう一つのソニー機よりも、カード型の、こちらの方が人気がある。小さく軽いためだろう。
 オリンパスはペンFのデザインで、新型を出したが、少し遅すぎた。OMデジタルのデザインは一眼レフ臭すぎたのだ。
 コンパクト系は殆ど売れてしまって、出物はない。残っているのは富士の高いコンパクトと、キヤノンの1インチ高倍率コンパクトに外付け電子ファインダー付きがいつまでも残っている。両方とも8万円。これは手が出ないだろう。
 この季節ではなくても、出ると、瞬間的に消えるのは、防水タイプのコンパクトらしい。とりあえずの実用機のためだ。
 だから、富士も全てのコンパクト系を製造中止にしても、防水コンパクトだけは、ぽつりと一台だけ、出している。コンパクトカメラが一台しかない富士のホームページ。これは何だろう。
 
 
■■ 2016年06月14日 火曜日 午前7時08分
 
 今朝は曇っており、少し気温が低い。しかし、日中は晴れ、そしてかなり暑くなるとか。朝の空を見ていると、そのようには思えないのだが。
 暑い日は朝は気温が低かったりする。しかし、今朝の空は曇天で、雲の形がない。真っ白。これで晴れるのだろうかと、思えるほど。その変化は何処から来るのか、白いだけで、変化のきっかけがなさそうなのだが。
 逆にと言うか、このまま雨になった方が自然だ。天気予報を聞き間違えたのかもしれない。晴れではなく、曇りのち晴れとか。
 梅雨に入っているのだが、一週間予報を見ていると、週に一日か二日ほど雨。だからあとは曇りか晴れだ。意外と雨の日が少ない。梅雨ではない頃、週に一日程度は、降っていただろう。これは雨量ではなく、日照時間。これは日が出ている時間だろう。地面が日で照らされている。そうではなく、雨が降っていない日をどういうのだろうか。これは晴れだが、曇っていても雨は降っていない。
 これは雨量計で分かる。雨が降ったことを示している。雨量ではなく、雨量計に示されたかどうかだ。晴れでも曇りでも雨が観測されなけば、雨量ゼロだ。
 要するに、梅雨でも、毎日雨が降っているわけではない。長雨、これは長い雨で。雨が長細いのではなく、長く降り続く、降っている時間が長い。一日中降っている。一日なら、それほどでもないが、これが二日続けて降っていると、おやっと思う。それが三日続くと、これは長雨だ。
 また、梅雨入りしようが、梅雨がどうのと、まったく感じていない人もいる。少し雨が多いかな、程度で。
 
 いつも行くショッピングモールのスーパーが改装するらしい。それで売っているものが違うようになるのなら別だが、売り場が変わるので、面倒だ。
 それよりも、改装前の特価らしく、店を一週間ほど閉めるので、肉とか野菜とか、そう言ったものを何とかしないといけないので、特価になっている。それで客が集まっている。
 平和堂という店なので、これは近くにもある。だから、冷蔵庫が必要な品は、そちらの冷蔵庫や、また何等かの冷凍倉庫などに、運ぶのだろうか。冷凍食品もあるので。しかし、そんなに在庫がないのなら、捨てる可能性もある。
 普段でも、魚も売れ残る。それを焼いたりして、また売っても、さらに売れ残る。そうなると、もう出せなくなるので、捨てるしかない。しかし、冷凍で保存している魚などは、売れ残りではなく、まだ売る前だ。これは移動させるのだろう。
 しかし、改装工事ぎりぎりまで売っている。既に改装中で、置き場所が変わったり、棚が違っていたりするし、仕切りができて、その向こうは見えなくなっている。流石に工事の人は表には出てこないが。
 このモール。スーパーで持っているようなものなので、これが休みになると、自転車が減るかもしれない。ただ、もう一店スーパーがあり、問題はないのだが、そちらは客が少ない。レジ袋を出してくれないので、行くことは先ずない。
 ただ、魚や肉、普段の食材は、市場のようなものがモール内にあり、こちらの方が実は客が多い。スーパーよりも。理由は単純で、安いためだ。肉も魚も安い。野菜も安い。ただ、調味料関係は、専門店になってしまう。だから、普通のキッコーマンの醤油がなかったりする。それとお菓子屋だ。これも普通のカルビーのポテトチップスとか。こちらも専門店にはあるが、輸入品のようなものが並んでおり、少し意味が違う。
 そのポテトチップス。レジ袋をくれないスーパーでも当然売っているが、裸のまま持ち帰らないといけない。だから、コンビニで買うだろう。
 ポテトチップス、裸のまま手に持って帰ると、結構割れていたりする。レジ袋に入れ、フワッと浮かすように持ち帰らないと。
 それで、昨日はミニトンカツと、サラダを、工事前のスーパーで買い、レジ袋に入れて持ち帰った。それと、鳴門産のワカメ。これを切らしていた。味噌汁に入れるためだ。ネギは結構高い。しかし、青いものが入っていないと、味噌汁が淋しい。豆腐だけでは、今一つだ。味噌汁なので、味噌だけの汁で良いのだが、麩でもいいから、何か子がいる。具がいる。
 改装前の特価のためか、刻みネギが安かったので、それを買う。これは最初から切ってある。それを?ぐと、ネギの大きさが分かるのだが、意外と多いかもしれない。または、詰め込み方だろう。
 青ネギなど、買っても冷蔵庫などには入れない。それで夏場は枯れてしまうことがある。その損分を考えれば、刻みネギを冷蔵庫で保存しながら、使う方がいいのかもしれない。
 青ネギは一度買えば、その根を植えれば、味噌汁程度の彩りでなら、その後買わなくてもよかったりする。
 そして、そのネギが植わっている場所には、必ず卵の殻があったりする。
 

 


■■ 2016年06月13日 月曜日 午前7時16分
 
 今朝は雨、しかも小糠雨。これは傘を差していても濡れる。雪のように傘の中に入ってくる。落ちるのが遅いのだ。そして軽いし、揺らいでいる。
 糠というのは最近見かけないが、籾殻を粉にしてものだろうか。漬け物のどぶ漬けというのがある。所謂糠床だ。そのとき、この糠を使うのだが、本当に細かくて、軽い。こういう糠が舞っているのが小糠雨だろうか。
 近所の水田で田植えをやっていた。機械で一気だ。この稲作、米。ここから色々なものが米粒以外に生まれる。糠もそうだ。藁は縄になる。麦なら、麦わら帽になる。稲藁帽はあまり聞かないので、適していないのだろう。その麦わら帽、洋式ではないか。編み笠は、また違う繊維だろう。何かの木の皮だ。それに近いのが味噌こし籠で、これは笊のようなものだ。また、竹籠などもあるが、そうなると、稲作の農家の作ではなく、素材の多い山暮らしの人の作になるかもしれない。
 雨のためか、朝の喫茶店は客が少ない目。少し遅れて行ったのだが、いつもの席は空いていなかったが、次席は空いていた。大きい目のテーブルは誰もいない。ここはいつも常連さんが一人で座っているのだが、今朝は見ない。また、最初からカウンターに座っている人がいる。こちらの方が窓を向いて、客席に背中を見せているので、落ち着くのかもしれない。視界にあるのは喫茶店ではなく、外なので。そしてカウンター席は百パーセント空いている。これも場所があり、端が人気だ。二人の間に挟まれるのは嫌なのだ。新幹線の三人掛けの真ん中のようなものだ。
 こういう位置、ポジション取りは大事だ。何かの講演や説明会などで、一番前に陣取る人もいれば、一番後ろの隅にいる人もいる。この違いは、動物的な何かから来ているのだろう。
 
 ゲーム信長の野望は難しくなっているので、気が抜けない。これはシミュレーションゲームだが、RPGの要素もある。月の経過と共に、城下は発展し、その関係で兵も多くなる。最初はそれほど多くはない。
 どの敵と戦うのかは決まっていない。だから、RPGもので、好きなクエストを選んで、レベルとは関係なく、モンスターを倒してレベルアップしていくような仕掛に近い、
 最初の頃は、似たようなレベルの隣国が近くにあるので、それを攻める。だから、最初は雑魚狩りから始めればいい。
 昨日は一番年代の古い設定でやってみた。前回もやったが、それは織田家で、これで成功した。今回は和歌山の鈴木家。これは一度やったが、最初の頃なので、コツが分からなかった。
 信長が産まれた年から始まる。その頃、今川が攻めてきて、桶狭間はまだ早い。まむしの道三はまだ土岐家の家老。そのため、斉藤家ではないので、愚鈍の国。これは織田家にとっては楽だ。
 鈴木家でやっているので、織田家は関係はないが、どうなっていくのかを上から見下ろす。合戦などが見られる。
 織田家は今川は攻めてこないが、その位置に松平がいる。これが強いし、三河一国取ってしまう。家康のお爺さんだろうか。三河一国というと、城は四つほどある。これは織田家は三つほどなので、織田より大きい。尾張はもう一つの織田家があり、それが城二つ持っている。
 だから、不気味なのは松平で、これは織田にはすぐには攻めてこないようで、織田家は長島にぽつりとある本願寺の城を攻め、さらに伊勢志摩へと向かう。いつもの信長の野望パターンだ。美濃や三河は適当にあしらい、伊勢志摩を押さえれば、城は六つほど増える。伊勢志摩、吉野辺りまで領土になり、北畠を家来にできる。この北畠親子が強いし、兵も多い。
 これで尾張、伊勢志摩を領すれば、大大名クラス。美濃より大きくなり、今川とまともに戦っても大丈夫になるが、このゲームが難しくなったのは、三河に攻め込めば、静かにしていた美濃が乱入してくる。だから、サンドイッチになり、危なくなる。だから、敵国より勝っていても、取るのは簡単ではない。
 今回この織田家の野望を崩したのは、他でもない鈴木家。鈴木家は城一つ、家来一人から起ち上がり、今の河内や大和まで占領している。吉野は近い。そして、伊勢への道がある。だから、北畠領が欲しい。そして、織田が北畠領の一城を落とした。今で言えば四日市辺りだろうか。
 これで、鈴木は間に合わなかった。先に取られたのだ。しかし、鈴木家は裏攻めで、吉野方面からの進入になる。伊勢湾沿いからではなく。
 織田はついでに伊賀を取る。これは早い。伊賀を取れば、激戦地の近江に出る。京が近い。織田家の失敗は、近江への入り口、大垣を取らなかったことだ。しかし、ここは街道が集まるところで、一番の激戦区で、浅井、朝倉が五月蠅い。
 さて、それで鈴木は、まだ残っている北畠の本拠地の城を一気に攻める。織田に取られないうちに。そして、最後は鳥羽攻める。ここは最果てで、紀伊半島はここで終わっている。道がない。あれば鈴木の本拠地まで繋がっているのだが、何もない。だから、鳥羽辺りが果てになっている。ここは時代により、九鬼家が領していた。九鬼を家来にすると、海戦で有利になる。どの武将も、軍船を使えるが、九鬼の船は速いし、大砲を積んでいるのだろう。また鉄張りの船も作れたりする。
 結局伊勢志摩の北畠領は、一国だけ残して、鈴木家が取るが、織田家も攻め取るつもりだったのか、攻めてくる。大人しくしておれば、織田と戦う気はないのだが、取ったばかりの城に攻めてくると言う汚い手を使ってきた。城の防御力はゼロになっており、攻めたので、兵も減っている。そこを攻めてきた。
 しかも織田の主力、柴田勝家が大軍で。さらに、その周辺には所謂織田軍団のスタークラスが並んでいる。尾張より、こちらの方に兵が来ているのだ。
 これは、鈴木もたまらない。しかし、兵力では鈴木の方が実は多い。岸和田や河内、奈良辺りの城は兵が多い。
 織田の主力が鳥羽城に迫るが、助けに行くには、不利。そこで、織田が取った伊賀に兵を送る。これで、鳥羽を攻めていた織田の主力が伊勢防御に向かう。この作戦に織田が乗ってしまった。織田軍団が分散したため、攻められていた鳥羽から逆に攻め返し、織田の城を一つ取り、伊賀も落とす。さらに伊勢湾を回り込んで、尾張近くまで攻め込む。
 しかし、織田家は本拠地の尾張の城から、次々と兵を送り出し、それとの戦いになる。結局順調に伸びていた織田家を潰したのは鈴木家だ。織田家の兵が減ったところで、沈黙を守っていたお隣の三河勢が、大軍で、どっと尾張に攻め込む。これもまた狡いやり方だ。織田の兵を減らしたのは、鈴木家だ。今なら、城の兵はほとんどいないので、簡単に落ちる。それをじっと見ているだけの三河に取られたくないが、三河はそれまで沈黙していたので、兵は多く、また強い。だから、三河とは戦いたくないので、城は取られてもいいから、織田家の最後の城だけは欲しい。なぜなら、この最後の城に織田軍団の武将が全部逃げ込んでいるため、それを取れば、織田軍団の武将を家来にできるためだ。城よりも、この人材が欲しい。三河勢に取られれば、織田徳川軍になる。
 織田の城を一つ盗み食いした三河勢は、鈴木が織田の残りの城を攻めているのを、じっと見ている。大軍だ。しかし、横取りをやめたのか、兵は出しているが、動かない。ここで、外交を使う。同盟だ。ここで三河に動かれたのでは、何ともならないためだ。
 このとき、鈴木は、四国の二国を占領している。実はここからも尾張へ兵を送っている。しかし、四国を空にすると、長宗我部が取りに来る。四国で怖いのは長宗我部だけ。これをまだ押さえていないので、四国兵はあまり使いたくない。
 しかし、鈴木家もまずいことになった。ちょっと北畠の伊勢志摩を取りたかっただけなのに、尾張まで取ってしまいそうになる。これは近江路はまだ取っていない状態なので、伊勢湾沿いにしか兵を送れない。雑賀の本拠地から伊勢湾への海路はない。
 さて、どうなるか、シナリオはない。
 

 


■■ 2016年06月12日 日曜日 午前7時10分
 
 今朝は晴れているが、雨が近いようだ。そして蒸し暑い。今朝も喫茶店へはジャケットを羽織っているが、流石に暑いので、店内で脱いだ。客は全部半袖だ。こちらはジャケットの下に長袖のネルシャツまで着ている。これは冬物だ。まあ、ネルシャツは冬も夏もないのかもしれないが、流石に真夏のネルシャツは暑い。
 しかし、喫茶店の冷房で、かなり寒くなり、冷えてしまうことがある。ネルシャツはそう言うとき、救いの暖かみだ。しかし、喫茶店の冷房は、その程度では無理で、やはりジャケットを羽織らないといけない。
 寒いより、夏は暑さでやられることが多い。30度を超えると、部屋の中も暑くなり、何ともならない。まだ、汗が滲むほどの暑さではないが、これは体調にもよるのだろう。当然湿気も。また、もの凄く喉が渇くときがある。これも湿気が影響しているのもしれない。
 自転車で炎天下走っていても、喉は渇かない。だから、水などを始終飲みながらとかはないが、暑いので、喉がカラカラになる。これは水が飲みたいのではなく、一口水を含めばそれで収まる。そのため、本当に一口でいい。そのためだけで自販機でお茶などを買うことがある。これは楽しみの一つだ。ねじ式のキャップが付いているのを買う。そして、いつも残してしまうのだが、持ち帰って、部屋で飲む。
 しかし、部屋にいるとき、水をがぶ飲みしても、喉の渇きが収まらないこともある。これは滅多にないが、飲み過ぎると水腹になる。水分が必要なので喉が渇くのとは、また別のようだ。
 暑い日は、雨がありがたい。梅雨時は雨が多いので、凌ぎやすい。晴れも長く続かず、暑さの中休みがある。
 昨夜は窓を開けた状態で寝る。最低気温が22度当たりだと、大丈夫だ。朝方20度を切ると、窓を開けた分、さらに寒く感じるが、掛け布団はまだ真冬の大きいものなので、大丈夫かもしれない。寝る前は蒲団を蹴飛ばしてるが、朝になると、しっかりとくるまっていたりする。
 25度を超える熱帯夜となると、掛け布団はいらない。さらに暑くなると、扇風機を付けっぱなしにしないと、暑くて寝付けなくなる。これはかなり遠くに置き、たまに風が来るように首振り角度を調整する。窓を開けていても、風が来なかったりする。
 昼間は窓を開けるが、陽射しや熱気の方が強く、熱気が入ってくる。だから、カーテンを閉めている方が良い。欲しいのは風で、熱風ではない。風がないときは、熱気だけが入ってくるので、カーテンが必要だ。
 まだそこまで暑いときは希だが、そういう日が続くと、外にいる方が楽だったりする。日陰に限られるが。
 
 今回のゲーム信長の野望は、なかなか天下統一の道が開けない。一度だけ、天下統一したのだが、時代を変えてやると、設定が違ってくるのか、勢力関係が変わるのか、思わぬ落とし穴がある。
 信長が活躍する桶狭間から始める設定では、信長以外ですると、下から今川に攻め立てられ、上からは斉藤に攻められ、これでサンドイッチになり、瞬殺。ただ、今川の大軍は弱いので、一度は追い返せる。斉藤も、一度は交わせるが、二度三度となると、消耗し、兵が少ないところにやってくるので、持ちこたえられず、じんわりと城を失い、一年も持たないで、織田家は亡びる。これは斉藤と同盟し、今川を攻めるしかない。
 尾張を取るのは今川で、同時に織田家の武将も家来にしてしまうので、上にいる斉藤よりも強いため、斉藤も滅ぼされる。
 今川の敵はない。北条と接しているが、同盟だ。また武田とも同盟しており、攻められる恐れがないので、安心して京を目指すようだ。今が和平は強くないのだが、尾張、美濃にはスタークラスの武将がいるので、今川が最強になる。当然斎藤道三や織田信長を家来にしてしまうので、これが今川軍の主力になる。
 鈴木家でやる場合、畿内は簡単に取ってしまえるが、今川が攻めてくると、防ぎきれない。畿内だけの兵では、何度か追い返せるが、結局はやられてしまう。
 そこで鈴木家としては、中国、四国へ攻め入り、領土を広げる。勢力を大きくしてから、今川との消耗戦に備えるためだ。
 この作戦中、畿内に今川軍が入ってくる。防戦するにも、主力は四国や中国にいるので、畿内の兵力が少ないので、やられる。
 今までのゲームでは、大きな勢力も、一枚岩ではなく、軍団単位に分割されており、隣の軍団が負けていても、知らん顔をしていたが、今回は、近くの軍団や、また遠くからでも援軍が来る。
 それがどうも、こちらが大軍で攻めると、それに相当する兵が援軍に来る。だから、少ない目の兵で攻めると、援軍も来なかったりする。ここがポイントだろう。大軍で攻めた方が楽なのだが、それをすると、全面戦争になり、ありったけの兵を互いにぶつけ合うことになる。
 敵の援軍が遠くからやってくるのは、見ていて分かる。マップで見えるのだ。しかし、敵にも限界があるので、援軍を出し切り、もういないときもある。しかし、一ヶ月ターン式なので、城に兵がそれなりに溜まる。回復するのだ。だから、敵の城を取ってしまわないと、敵の兵は減らない。
 今回の信長は難しい。

 


■■ 2016年06月11日 土曜日 午前7時02分
 
 今朝も晴れており、そして暑いらしい。昨日大阪では31度。豊中や枚方では、夕方は全国一やベスト10入り。意外と暑いはずの二時とかではなく、夕方に31度台になっていたようだ。
 涼しくなるはずの夕方が一番暑いとやってられない。夕食の準備でスーパーが賑わう頃が、一番暑い。これは日中の暑い頃は外に出ないで、4時とか5時を回って、少し勢いが収まった頃に買い物に出る主婦が多いと思うが、これでは昼頃に行った方がましだということになる。
 流石に蒸し暑いので、扇風機を出してくる。部屋が熱気を帯び、真夏のそれと同じになっていた。
 しかし、暑い日の朝は意外と涼しかったりする。それで、昨日は朝の喫茶店からの戻り道大回り散歩をする。これは距離は短いが、適当にやっているが、少しだけ長いこともある。晴れていて暑いのだが、昼間よりもましだ。
 昨日の夕方の暑さで、真夏が来たと感じた。30度を切ると、涼しいと思うような日もある。35度越えをしているような日だ。
 夕方は暑苦しいので、焼きそばを作って食べる。枯れかかっているほうれん草をそこで使いきる。冷凍海老があったので、それをメインとして入れるが、意外と厚揚げが効く。こちらの方がメインのように美味しい。ピーマンとニンジンも入れるが、いずれも細く切って。
 炒めるのに時間がかかるためだ。焼きそばはコンビニ焼きそばもいいが、スーパーの金城焼きそば。ソースがこちらの方がいい。どちらも三つで安い。ただの焼きそば用のそばならもっと安いのだが、ソースが欲しい。買い置きのソースがあるのだが、かなり経つので、腐っているのではないかと思い、最近使っていない。ソースはあまり使わない。もっぱら醤油だ。ソースが必要なものは、最初から味が付いていたりする。
 最近味の素やいの一番といった化学調味料を見ないが、あれはもう中に入っているものがまずいためだろうか。あれで美味しいのだが。漬け物などに味の素、また、お吸い物を作るときもいの一番を出汁としとして入れたりする。どちらもふりかけのような容器に入っている。食堂でも普通に置かれていた。また、アジシオやタケシオもあった。塩と味の素が入っていたのだろうか。タケシオとは、いの一番と同じ武田の商品。武田は製薬会社だが、食品会社もやっていた。プラッシーなどの妙なジュースも売っていた。バヤリスオレンジのようなものだろうか。当時、プラッシーと言えば、噛みつきレスラーブラッシーの時代だった。
 調味料はまずい食材でも美味しく食べられる。昔は塩がそれだったのかもしれない。その後醤油だ。これは最近だろう。醤油のおかげで、味のないものでも食べやすくなった。また生臭いものでも。例えば刺身、これを醤油もわさびも付けないで、食べるとなると、苦しい。コショウが肉の臭さを消すためのように、調味料は役立つ。
 味そのものが、殆ど分からない豆腐なども、冷や奴のとき、七味唐辛子などを掛ける。素うどんのときも、具が入っていないので、七味唐辛子の出番だ。わさびや生薑もいいが、さっと振りかけるだけで使えるので、便利なのだ。
 
 先日、気楽に買い換えたパナソニックの旅カメラだが、やはり気楽に使える。旅に出るわけではないが、旅カメラといわれているだけあって、邪魔にならないカメラだ。ポケットに入ると言うだけではなく、写し方もそうだ。
 田圃に水が入っている風景を24ミリで写したとき、かなり拡がりのある風景となり、まるで旅先のよう。
 広角なので、背面液晶で十分なのだが、角度が悪いのか、液晶が見えにくい。そんなとき、ファインダーが効く。非常に小さいファインダーで、ここまで小さいと、レンジファインダータイプでもペンタプリズムタイプでも電子タイプでも、あまり変わらない。小さすぎるためだろう。これが幸いしている。以前は電子ファインダー臭さが目立ったのは、解像力が低すぎたためだ。
 このタイプのカメラとして富士のX30がある。少し重くて大きいが、解像力の高い電子ファインダーを付けている。だから1インチデジカメと並ぶほど高く、また普及タイプの一眼レフと変わらない値段だ。標準ズーム付きだが。
 要するにファイダーが付いていると、撮しやすくなるが、構えて撮さないといけない。しかし、カメラが小さいので、あまりバランスはよくないのだが。
 要するに、このカメラは軽い。250グラムでファンダーまで付いているのだから。
 24ミリで、小さなファインダーで見ても、細かいところはよく見えない。しかし、結構綺麗に見える。構図を得られればいいので、何処まで空を入れるか、手前は何処まで写り込むのか、程度の調整だ。これは反射して分かりにくくなる背面液晶に比べれば、非常に楽だ。液晶でも、何となく分かるのだが、より確認が楽になる。
 一番いいのはフルオートにしておけば、何とかなると言うことだろう。このカメラはここがメインで、難しい設定はしなくてもいい。
 ただ、露出補正やホワイトバランスの調整は、フルオートでもできるので、これは流石だ。できないタイプの方が多いためだろう。
 これは露出補正とは言わず、明るい目、暗めの調整となっている。露出補正の補正値ではなく、バーが出て、明るさ調整ができる。直接モニターを見て、どの程度の明るさ暗さでいいのかが、そこで分かる。それらは、ミラーレス一眼の流用だろう。同じのがついている。
 ホワイトバランスの調整も、単に色目の調整。暖色と寒色が両端にあり、どちらへ傾けるかだ。太陽光がどうの蛍光灯がどうのではなく、ホワイトバランス自動が迷い、青っぽくなれば、暖色側へ回せば、それで済む。要はホワイトバランス云々ではなく、気に入った色目にする程度だ。これはホワイトバランスではなく、ただのカラーフィルターのようなものに見える。
 つまり、露出補正やホワイトバランスと言う言葉を使わない。
 また、絞りの調整も、ただのぼけ具合の調整となっている。といっても望遠端など絞りは二段。広角端でも三段程度だろう。だから、あまり効果はないのだ。ぼかしたければ望遠を使うか、またはうんと寄る方が、簡単にボケる。
 それで楽なのが、足元から空の雲までの拡がりを、全部鮮明に写せるのが、コンパクトカメラの良さだろう。受光素子が小さく、しかも開放も明るくないので、広角だと全部ピントが合う。これは旅カメラとしては大事だ。
 1インチタイプで、レンズの明るいタイプは、広角でも、結構ボケるので、ピント位置が大事になる。だから、さっと取り出し、さっと撮した場合、思わぬところにピントが合った場合、背景が少しボケたりする。広角でも。これが不鮮明な写真のように見えてしまう。はっきりとボケておれば意図を感じるが、中途半端にボケているため、しっかりと写っていないように見える。
 まあ、このカメラ、じっくりと撮影するときには、一寸頼りないし、撮した充実感はあまりないが、日常の中では、あまり充実した写し方ができるような風景はないので、散歩カメラとしては丁度いい。
 そして、旅カメラ的というか、写り方が明るい。


 


■■ 2016年06月10日 金曜日 午前7時06分
 
 今朝は晴れている。梅雨の晴れ間だろうか。その晴れ間が一日少しあると、梅雨であることを忘れるほどだ。今日は大阪でも30度ほどになるとか。これは真夏だ。
 しかし、相変わらず朝はジャケットを羽織っている。半袖の人も多いのだが、喫茶店に入ると、冷房で寒くなる。これは朝だけで、昼間になると、それほどでもないので、ジャケットは使わない。雨の日などは別だ。気温がそれほど上がらないため。
 冬を越すより、夏を越す方が難しかったりする。その夏がもうやってきているのだが、これは序の口で、梅雨明け頃からの夏が怖い。これは記録的な猛暑になる可能性も今年はあるとか。数年前にも、そういうのがあったのだが、そんな暑い夏は今までなかった。
 梅雨入りと同時に田に水が入ったようだ。これは一斉にではなく、結構ばらばらだ。既に田植えを終えた田もあるし、これから水を入れる田もある。
 フェースブックで三年前の記事がぽんと出る。すると、やはりこの日に田に水が入っていたりする。梅雨入りで、水を入れるのか、または決まった日があるのか。または様子を見て入れるのかは分からない。
 水は一日あれば張れる。プール以上に広いのだが、浅い。プール並に水が流れ込む。その水位も大事なのだろう。入れすぎると田植えができない。また、水を抜く場所もあるのだろう。だから溢れることはなかったりするのかもしれない。
 機械で田植えをしている田もあれば、二人か三人で、手作業で植えている田もある。オバサンがモンペをはいていた。まだそんなものがあるのだ。当然早乙女ではない。結局農家単位でやっている。水田そのものが少ないので、そんなものだろう。自分の家で食べる米かもしれない。税金の関係があるので、水田にしているのかもしれない。
 いつも見かける老いた農夫の田は、今年は水田にしていない。しかし、水が入っている。よく見ると雨水が溜まっているだけだった。水田用に少し低い場所にあるためだ。しかし、別のものが植わっていた。そしてこの農夫、最近たまにしか見かけない。もう年なのだろう。
 朝の喫茶店からの戻り道大回り散歩も、暑いので、結構苦しい。しかし、朝はまだそれほど気温は上がらないので、何とかなる。あまり遠くまで行くと、徐々に気温が上がるので、帰り道、結構暑い。
 昼間の自転車散歩は流石に出る気がしない。しかし、喫茶店へは行っている。これは日陰の道があるため問題はない。
 ウロウロしてもいいのは夕方前だろうか。その時間になると、あまり遠くまでいけない。帰りが暗くなるためだ。しかし斜光となるため、光線状態はいい。
 まあ、自転車散歩に出なくても、普通の自転車移動中の風景でも、それなりに撮すものがある。逆に遠くまで出ても、撮すものがないままのこともある。これは珍しいものを探しているためだろう。そんなものは数キロ離れた程度の場所には滅多にない。それに数キロ周辺なら、もう既に知っていたりする。何度か来ているはずだ。
 毎日通っている道は、さらに珍しいものはないのだが、見慣れているだけに、見慣れないものが出るとすぐに分かる。ベースは同じなのだが、変化がある。それは花が咲いていたりとか程度だが、その中に田に水が入っているなどが加わる。これは風景が一変するので、誰にでも分かるだろう。
 ところが、最初から水田地帯へ行くと、平凡な水田風景として、当たり前のように見えてしまう。
 自転車散歩で、新鮮な被写体を食べるには、入ったことのないような町に入り込むことだろう。これは全て初めて目にする風景だ。しかし、近所と同じユニットだったりするのだが。
 それでも、何が次に眼前に来るかの楽しさはある。
 

  


■■ 2016年06月09日 木曜日 午前7時05分
 
 今朝は曇っている。雨が降りそうだ。梅雨時なので、当然だが、晴れている日もある。また雨はずっと降っているわけではない。たまにやむ。
 朝は結構暖かい。雨の日は暖かいようだ。晴れている日の朝は低温気味。また、雨の日は昼間の気温は上がらず、過ごしやすい。
 昨日の昼間、少し晴れていた。これが暑い。これだけで疲れる。冬場はそれほどでもないのだが、夏は熱だれしたようになり、じっとしているだけでも疲れる。
 それで意外と夏ほど早く寝てしまう。いつもの寝る時間まで、スタミナが持たないのだろう。夏場ほど睡眠時間が長くなったりする。これは逆ではないかと思うのだが。つまり、冬の方が冬眠しやすいのだが。
 また昼寝も、夏の方が多い。また炎天下、外から戻ってくると、もの凄く消耗したようになる。冬場はそんなことはない。
 さらに暑くなると、昼寝が大変になる。暑くて寝てられない。

 八百屋で買ったほうれん草を大量に食べている。四つで二百円。一つ50円だ。高いときはこれが200円以上する。相場は150円ほど。安いときでも100円。それが50円。ただし笊盛りなので、4つセットでしか売られていない。これを食べきるのは大変だ。こういう葉物は持ちが悪いので、あっという間にずるっとなり、そして、枯れていく。
 全部纏めて湯がいて、冷凍すればいいのだが、やはり、そのままの方がほうれん草らしい。
 朝の味噌汁の子として入れるが、大量に入れるため、ほうれん草煮なる。ほうれん草の味噌炊きのように。これはたまに入れるのだが、ネギを入れるようなもので、ひと束のほうれん草のひと茎程度。だから、汁の方が多い。ほうれん草なので柔らかく、またすぐに煮える。こんなもの1分も熱湯に入れておけば、それでいいほどだが。それで重宝しているのだが、その計算で行くと、全部枯らしてしまう。
 そこで、焼きそばで大量に入れる。フライパンはほうれん草の山。しかし、すぐに小さくなる。
 焼きそばはそれほど続けて食べないので、今度はほうれん草を炒める。煮るのではなく、炒める。これが一番美味しいようだ。そして、すぐになくなる。野菜は一寸油炒めすると、艶が出る。
 このほうれん草、四つで200円の時、ピーマンの笊盛りも一緒に買っていた。こちらも相場の半額ほどだろうか。こちらは長持ちする。葉ではないためだ。袋だ。これは長く放置していると、赤くなる。そうなっても、まだ食べられるというか、それが本来の姿だろう。ピーマンと言うより唐辛子だ。赤くなるなると、もの凄く辛くなったりしそうだが。
 ピーマンは肉厚なものが美味しい。炒めたり、焼いたりすると。
 急ぐときは、細く切る。しかし、これではピーマンを食べて気があまりしない。やはり焦げ目が付くほど焼いたものがよいが、手間がかかる。網焼きは手間だ。炒める方が早かったりするが、フライパンでも焼き物はできる。鉄板焼きだ。
 夏場は汁物よりも、中華風な炒め物のほうがよかったりする。もう汁物が暑苦しく思える季節になっている。熱い湯を飲んでいるようなものなので、汗が出るのが嫌なのだろう。まだ、そこまで暑くはないが。
 
 暑いとか、雨とか、体調とかで、自転車散歩に出ていないが、昨日は朝の喫茶店からの戻り道大回りで、少し長い目に走った。朝の喫茶店が変わってから、大回りコースも変わってしまったが、新たな場所も増えた。行ったことがない場所ではないが、滅多に通らない場所だ。実際、用事で行くようなことはまずない。自転車でウロウロしていて、そこを通った程度だ。何年か前に。
 朝なので、それほど暑くはないのだが、それでも陽射しがあると、バテそうになる。
 カメラは、先日買ったパナソニックのTZ70。720ミリまでの望遠が効いている。しかもファインダーで撮影できるので、素早い。ズームはそれほど早くなく、他機に比べて、おっとりしている。一気に寄ると言うほどのスピードはないが、中間がいい。止めやすいからだ。
 ズームは、シャッターボタン同軸のレバーだが、レンズの根元にも大きなダイヤルがあり、これが電動ズームになる。こちらはレバーよりもゆっくりだが、行きつ戻りつがやりやすい。そして、不思議と、この鏡胴ダイヤル側でズームしたときにだけ、ファインダー内で画角の絵が出る。今何ミリで写しているのかが分かる。レバーだけでは、この絵は出ない。しかし、素早い。
 大概の場合、急いで写す。特に街中スナップでは、人がこちらを見ていない、または人がこちら側に来ていないときに写す。そのため、ズームをする時間がなかったりする。そのときは広角24ミリでは広すぎる。
 猫もズーム中に逃げてしまう。だからゆっくり目のズームでは、間に合わないこともある。まあ、そういう猫は、目が合った瞬間逃げていくが。
 このカメラにもズームメモリーがあり、前回終了したときの画角を覚えているというやつだ。それよりも、起動後、ある画角にセットしてくれるタイプがいい。50ミリとか。とりあえず、とっさの一枚、というときは、ニュートラルな50ミリがよい。
 こういうとき、普通の一眼レフ系のアナログズームの28から85辺りの標準ズームが使いやすかったりする。ズームは一瞬と言うより、画角を決めてから電源を入れたりできる。そして、機械式はズームが素早い。ただし、高倍率になると、結構回さないといけないので、力がいる。こういうときは電子ズームのレバーの方が早かったりするが、微調整は機械式のアナログのほうがよい、つまり行きつ戻りつがやりやすい。
 ただ、一眼レフ、音がするので、それで気付かれたりする。
 このカメラ、フルオートだと、AFは適当なところで合う。一点AFに戻す方法はない。プログラムモードに切り替えればできるが、フルオートでもできる方法方が分かった。ボタン一つで追尾モードになる。このとき、被写体を囲み、ピントを合わせ続ける機能だが、静止したものでもいける。要するに、一点になるためだ。これで、フルオートのまま、ピンポイントにピンを合わせることができることが分かった。ボタン一つだ。ソニーのカメラなら、自動的に感知して、自動的に追尾モードに入る。これは凄いと思う。しかし動体ではなく、茎の向こう側にある花とかでで、役立つ。
 さて、写りだが、晴れていて順光なら、どんなカメラで写しても、それなりに綺麗に写る。
 しかし、何世代か前のパナソニックの旅カメラも持っているが、写りはそれほど変わっていない。結構綺麗に撮れ、満足していたものだ。
 それと同等に写るので、ファインダー付きのおまけで、さらに撮しやすくなったと言うことだろう。
 望遠端は条件が悪いと、甘くなるが、それは他のカメラでも同じようなものだ。たまに逆光補正が自動的に入り、書き込み時間が少しかかるので、邪魔なこともあるが、逆光でも眠くならないように写る。
 ポケットから取り出して、さっと24ミリで撮し、余裕があれば、超望遠で写せる。夢のようなカメラだ。
 当然電柱の影から超望遠でゴルゴ13並の狙撃もできる。
 
 

 


■■ 2016年06月08日 水曜日 午前7時05分
 
 今朝は晴れている。しかし、天気予報では、雨を追いかけている。しかし、大雨が降るわけではない。梅雨入りしているので、雨を追いかけているのだ。そのため、雨を強調している。普段なら、すっと流す程度の雨雲情報を伝えている。どんな大雨が降るのかと思うほどだ。
 しかし、今日は大阪方面は晴れ、29度ほど上がるらしい。そして蒸し暑いとなっている。湿気が多くて。これぞ正に梅雨だという感じで、雨が降っていなくても、晴れていても、蒸し暑い。だから梅雨だ。
 ゴールデンウイークを過ぎたあたりの方が、今よりも暑かった。
 晴れているので、自転車散歩に出掛けられそうだが、29度となると、躊躇する。これと体調もある。足が痛いとか、腰に違和感があるとか、そういう状態のときは、控えたい。別にしなくてもいいことなので。
 最近は夕食後、徒歩散歩をやっている。長い時間ではい。十五分か二十分程か。しかし、初日は、足が痛くなり、すぐに戻った。十分ほどだ。時計で計ったわけではなく、引き返すポイントがある。これは道と交差する地点で、それがいくつかある。真っ直ぐな道なので、そのまま歩くとかなり遠くまで行ってしまう。西国街道に至り、それは西宮まで続き、そのあと山陽道に出る。これで九州まで行ってしまえる。どう考えてもそこまで歩く用事はないが。煙草を買いに行くような軽装で、旅行に行くようなものだ。家を出るときは、旅行に出る気などないだろう。一寸夕食後の散歩なのだ。
 折り返し点で時間を調整している。徐々に慣れると、もう少し先まで歩ける。そこから先へは行かない。これは元気でも。なぜなら散歩時間をオーバーするからだ。
 そういうを一週間ほど続けると、普通に歩けるようになる。普段も歩いているが、ほんの僅かだ。十分以上歩くというのは希。徒歩移動は店屋の中程度だったりする。
 これがハイキングだと、坂道を一時間も二時間も歩くことになる。だから足腰の鍛え方が違うのだろうが、毎日ではない。昔の人は山仕事などで、その程度の時間は移動していたかもしれない。ハイカーではなく、ただの仕事だ。
 田圃と農家の関係もそうだ。だだっ広い昔の濃尾平野などの田圃は、見渡す限り田圃だらけ。田に出るのに遠すぎない程度のところに農家があったりする。村だ。歩いて田へいける範囲だろう。一時間もかかって田圃に出るのなら、効率が悪い。
 新幹線からでは無理だが、東海道線の車両からなら、田圃ばかりのところを走っていることがある。遠いところに農家が小さく見える。この距離を歩くのだろう。また、田圃しかなく、農家が一軒もないと、逆に怖いが。
 しかし、田圃から農家が見えている距離なら、いいのだろう。そこが限界かもしれない。通うのが大変だ。
 徒歩散歩は、夕食後なので、少し暗くなってから出る。先日買ったパナソニックのズーム機が入っている。その前は、レンズの非常に明るい高級機を入れていたので、暗くても写せた。
 新しい方のカメラは普通に暗いので、かなり厳しいのだが、手持ち夜景モードに自動的に入る。ただしピントは5メートル先だ。5メートル以内のものにピントが合っているときは、夜景モードにはならない。これは何をするのかというと、連写して一枚の写真にするため。要するに手ぶれ補正だろう。これがうまく填まると、明るいレンズで写したものよりも、よく写っている。ただ、連写なので、動いているものが入っていると、妙な形になるが。どうせ暗いところでは、動いている人物は流れるので、似たようなものだが。
 こういうことをさせると、カシオがうまい。ソニーも、結構これをやっている。明るい場所でもやり倒すので、保存時間が長くて、次のが写せなかったりする。
 どちらにしても、薄暗いところでは暗いレンズでは無理、というのはこれでなくなる。
 室内などでは、流石に5メートル先にピントを合わすなどは出来ないので、ノーマル撮影になるが、感度上げと手ぶれ補正で、広角端だけなら、何とか写る。暗いレンズと言ってもf3.3はある。一眼レフの明るいズームと言ってもf2.8通しだろう。一段も違わない。広角端だけなら。それに24ミリなので、かなり有利だ。受光素子が小さい恩恵で、ピントの合う範囲が広いので楽だ。当然近付くと、かなりボケるが。
 それで、夜の徒歩散歩でも、こういうコンパクト系はポケットに入るので、持ち出しやすくていい。
 

■■ 2016年06月07日 火曜日 午前7時17分
 
 今朝は曇っている。梅雨らしく、雨が降るのだろう。風があり、少しひんやりとしている。陽射しがあると暑いのだが、ないと、涼しいと言うより、寒く感じる。
 昼間、陽射しがあると流石にジャケットを羽織って炎天下、自転車で走れない。そしてそのまま喫茶店に入るのだが、ジャケットなしでは寒くなってくる。この冷房は店により強さが違う。客に長居をさせたくない店は強い目なのだろう。逆にけちって冷房も暖房も緩い店がある。
 この季節、体調を崩しやすい。それは年中その可能性はあるのだが、特に梅雨時の空気は独自だ。真冬や真夏は、それほど気温差はない。暑いだけ、寒いだけ。夏と冬が同居しているような一日だと、調子が狂うのは当然だろう。
 既に暑いので、昼間行く喫茶店までの道は、日陰道を通っている。これは夏にしか通らないのだが、最近は真冬でも通っている。この日陰道は人気があり、徒歩や自転車の人が多い。車道の歩道側ではなく、逆側なので、クルマの右を行くようなものだが、それほど交通量は多くない。それに信号が多いので、スピードが出せない道だ。
 その日陰道に出るまでは暑い。また日陰道から喫茶店までも暑い。しかし、ずっと暑い道よりも楽で、日陰のないところは一気に抜ければいい。
 ここを散歩コースにしている顔見知りのお婆さんがいる。運動で歩いている人ではなく、お参りしている人だ。運動で歩いている人は日陰道からは出ない。しかし、そのお婆さんはお参りらしく、その順番を教えてくれた。近くの神社やお堂などを待っているようだ。それで一周する。だから、日陰道も通るが、日陰のない道も通る。
 神社や、お堂や、祠のようなものを、順番に回る年寄りは昔からいる。しかし若い頃はそんなことはしていなかっただろう。忙しくて、そんな暇はなかったのかもしれない。
 昔の人なので、そういうお参りコースを巡回すると思っていたのだが、そのお婆さん、中年時代を知っている。そんなことはしなかった。お参り婆さんが発生するのは、昔からの習慣ではなく、年を取ったためだろう。だから、伝統を引き継ぐとかではなく、自然とそうなるのだろう。信仰心でもない。それなら、若い頃から巡回しているはずだ。
 要するに半分散歩なのだ。徒歩散歩。そのコース取りで、神社やお堂になる。祠や地蔵さんになる。まあ、神社のあるところは森のように木陰がある。それも効いているのだろう。祠や、お稲荷さんがあるところも、それなりに木が植わっていたりする。そして、一寸した空間があり、立ち止まりやすい。ただの路肩ではなく。
 また、そういう神社や、祠は目印になる。ほぼ移動や移転、取り壊しはない。そして、普通の人が立ち寄っても、誰も怪しまない。これはこれで人の土地なのだが。
 その近くにお寺があれば、そこも回っているだろう。だから、何を信心しているのか分からなくなる。特定の宗教に属していないので巡回コースに取り込める。地蔵盆のお地蔵さんにもお参りし、神様のいる神社にも同時にお参りしているのだから。
 これは単に寄るところが増える方が良いのだろう。ついでに回る。通り道なので。これは猫の行動範囲と似ており、それなりに広いが、言うほど遠くまでは行かない。老婆の足も似たようなものだし、また他所の町内、この場合村だが、縄張りがあい、顔見知りのいない他村にまで乗り込まない。
 この巡回コース、全て知っている。だから、点と点を結ぶ感じで、町内を練り歩くようなものだ。日陰のある一本道、直線を散歩するより、効率が良い。直線は距離を稼げる。何処まで遠くまで行ったかを。しかし、町内一周でも、総距離は結構ある。同じ道をまた戻ったりも含まれる。
 四国や西国の札所めぐり、巡礼だ。しかし、お寺を回っている。ところが近所にになると、寺など一つぐらいしかないので、その往復だけ。だから、神社や社や、お堂や、石仏なども加えて、巡回する。札が出ないので、巡礼にはならないが、ミニコースだ。そして、ここでは神も仏もない。有り難そうなもの、聖なる印があれば、もう何でもいいのだろう。
 それよりも、元気に歩いて、そこを回れることの方が価値があるはず。
 
 パナソニックTZ70の続き。
 その後、明るい昼間の撮影もする。望遠端の写りはぼんやりとし、コントラストがなく、線も糸がほどけたように、鮮明さに欠けるが、これは前機種とそれほど変わらない。また、コンパクト系の他の超望遠付きデジカメと比べた場合も、少し弱い。しかし、これも条件が悪ければ、良いカメラで写しても、似たようなものになる。
 それよりも、タッチが柔らかくなっている。どぎつさがない。鮮明な写真ではないのだが、淡い感じも好ましい。まあ、望遠端で遠方を写すと、そんなものだが。
 偶然猫と遭遇したので、写すが、これもほんわかとした猫になった。
 撮影は全てフルオートで、カメラ任せ。ただ、手前に何かがあると、それにAFが取られるときだけは、プログラムオートにする。こちらはスポットAFにしているので、その切り替え用にだけ、プログラムモードを使う。ダイヤルを隣りに回せばすむ。
 フルオートでは、AFの幅や大きさなどは触れない。普通の撮影では、それで十分だ。ただ追従モードに切り替えれば、一点になる。
 写りは、まずまずで、特に優れた描写をするわけではない。これは受光素子やレンズスペックだけで、最初から分かっているので、ぎりぎりセーフの画質になる。浅く甘く写っている方が良い場合もあるのだ。
 

 


■■ 2016年06月06日 月曜日 午前7時07分
 
 今朝は晴れている。大阪も梅雨入りした。このまま晴れ続けると困るだろう。しかし、梅雨入りしましたとは、言っていない。入ったと見られるとなっている。梅雨入りしたかもしれないようだ。程度。していないかのしれないが、したかもしれない。おそらくしたのだろうと思われる。
 見られると聞くと、「レルラレル」を思い出す。思うと見るとでは、見るの方が軽い。
 見られるというと、誰かに見られてしまったに近い。見てしまったではなく、見られた。目撃されてしまった。
 見れるというのは、ら抜きになる。芝居が見れるは、見ることができるかもしれないと言うことだ。まだ見ていない。見れるはら抜きなので、それが見られるになる。すると誰かに見られてしまったが、きてしまう
 梅雨に入ったと見られるが妙なのは、ら抜きになるので、そうなったのだろう。普段使う言葉は、ら抜きで喋っているためだ。また、日本語変換では、ら抜き警告が出る。
 だから、「レル、ラレル」を連想してしまう。当然これには方言の影響もある。
 ではどうして方言ができたのか。これはお国訛りと言ったりする。国の訛り、日本国ではない。旧国名だろう。近江とか佐賀とか。越後人と越前人、越中人とはどう違うのかになると、遠くからでは分からない。住んでいる人は、何となく分かるはず。人柄の特徴なのか、土地柄の特徴なのか、その地に引っ越すと、何となくそういう気質になったりする。地元の人よりも。
 関西人では広いが、大阪人でも、まだ広い。大阪市内に昔から住んでいる人と言っても、殆ど海だった。だから移り住んできたのだろう。それが太閤さん時代あたりになると、方々から商人が来たりする。近江商人もいれば、京都の人達もいるだろう。だから意外と商人の町大阪の人は大人しい。それと河内と和泉が混ざり合ったのかもしれない。所謂船場言葉というのがある。ていねいに話すとき、これをつかったりする。接客語に近いのかもしれない。
 
 昨日の朝、パソコンが熱くなり、何ともならなくなったのだが、放置していると、バッテリーが切れ、熱を出すものがなくなった。電源が切れないので、難儀したが、エネルギーがなくなると、自然に切れる。
 それで、電源を入れると、何度かエラーが出たが、何とかパソコンが起ち上がり、ウインドウズがやっと出た。これは喫茶店などで使っていて、そのまま蓋をしてしまうことが多い。これで休止になるのだが、ならないこともあるのだろう。やはり終了した方が良いのだろう。ウインドウズ10になってから起動が速いので、休止状態にする必要はあまりないのかもしれない。起動が遅いので、すぐに使えないので、休止で放置する癖があった。
 このノートパソコン、去年のクリスマスあたりに買っているので、もう少し持たせないといけない。

 パナソニックの旅カメラ24から700のズーム機を先日ネットで買ったのだが、それが翌日届く。これは買い直しだ。その前の機種が故障ではないが、異物が入ったのか、同じところにずっとゴミが浮いている。レンズ内の埃にしては大きいので、別のものだろうか。それと、使いすぎたのか皮が剥がれたり、ささくれたりしている。ポケットにつっこでいたためだろうか。それと熱に弱いのかもしれない。表面が普通の塗装なら、それほど問題はないが、何か貼ってある。滑り止めのようなゴムのような。それが溶けたような感じになった。これはいいのだが、レンズ内か、もっと内部か、そのゴミは、何ともならない。それで、しばらく使っていなかったのだが、急に思い出したように、このカメラの次に出た機種を買う。最新機ではないが、まだ現役で売られている。当然型落ちなので、かなり安い。しかし、なぜ新製品が出ているのに、製造中止にしないのか、そこにポイントがある。つまり、新製品ではなく、その前の機種の方がいいからかもしれない。
 新製品は5万を超えており、これは1インチデジカメと並んでいるようなものだし、ミラーレスとの値段差がなかったりする。最近のコンパクトデジカメは高い。
 以前に買ったTZ60も高かったが、今回はかなり安い。
 TZ60から旅カメラに電子ファインダーが付いたのだが、これが小さく解像力が低く、何とも言えないファインダーだったが、実用上は問題はなかった。構図を見る程度のもので、ピントの確認などは超望遠側でないと分からないほど。
 そのファインダーがTZ70で、反省したのか、五倍ほど解像力が上がった。それで100を僅かに越えたので、ネオ一眼の高解像タイプは90あたりまでなので、かなり鮮明だと言うことだ。これは店頭で確認している。しかし、大きさは大したことはない。だから視野は狭い。そのため、構図はよく見える。
 買い直す理由はそれだけかもしれない。カメラは小さくフラットで、しかもさっぱりとしたデザインで、250グララムほど。流石に200グラムは切らないが、ポケットに入るサイズと重さだ。それでいてファインダーが付く。それだけのことだ。
 その前に懐かしがっていた28から200のLF1もいいのだが、そちらは高級機だ。そして、電子ファインダーも、この小ささで付いているのだが、粗い。それに200ミリでは不足だ。600ミリあれば猫や鳥が写せる。しかもポケットに入るカメラで。そのため、画質云々よりも実用性だろうか。
 しかし、前の機種よりも、画質は上がっているようだ。これは印象ではなく、画素数を下げてきたのだ。普通は上げるはずなのだが、ノイズや階調性で、少ししんどくなるらしい。よく見ないと分からないだろうが、これは気分の問題だ。画素数を敢えて落としたというところがよい。受光素子を大きくするわけにはいかないので、画素数を小さくすることで、無理なことをしなくてもすむのだろう。ただ、画素数が増えたタイプは写りが悪いかというとそうでもない。ソフト的な処理技術も付いてきているからだ。まあ、何とか誤魔化すと言うことだ。
 ところが最新機になると、画素数を増やしてきた。やはり、画素数神話があり、それが大きいほど価値があるように見えるのだろう。確かに巨大なサイズでプリントするのなら画素数が大きいほど有利だろう。かなり大きなサイズになるが。
 しかし、中身は前バージョンと同じようなもので、写りに関しても、言うほどの違いはないだろう。前の機種は、モヤッとした遠方を望遠端で写すと、かなり絵が崩れた。そういうのを画素数を減らすことで、改善するのなら、好ましいが。
 だが、デザインもボタン類も、ほぼ同じなので、同じカメラをまた買うような感じで、新鮮さはないが、ファインダーが綺麗になったことだけで、もう十分だろう。
 電源ボタンが右端にあり、これが押しやすい。さらにモードダイヤルがシャッターの左側にあるのもいい。モードダイヤルの位置に電源ボタンを置いたようなものだが、それだけではなく、人差し指でシャッターボタンを押しに行くとき、右側から回り込むように指を当てる。指の腹の根元側がモードダイヤルの山のため、一山越すことになる。コンパクト系なので、シャッターボタンは高くない。背がない。これは高い方が指は楽だ。
 指の腹を広く使って押すとき、手前にダイヤルの山があると邪魔で仕方がない。このカメラはそれをクリアしている。
 要するに、電源ボタンの位置は一番押しやすい位置。だから、このカメラは使いやすいので、気に入っていたのだ。
 しかし、使い込んだため、ボロボロになり、ゴミも入ってしまったが。
 
 最近はコンパクトカメラでも、高級品を中古で買っているため、新品の普及機になると、一寸不安がある。だから試写が怖いのだが、いつものようにやってみた。
 24から720の超高倍率で、しかもレンズは暗く、さらに受光素子は普通。これで薄暗い部屋での試写は毎回厳しいのだが、意外とパナソニックの古いカメラでも写っているので不思議だ。ましてや去年のカメラなので、さらに磨きがかかっている。悪い条件にもかかわらず、それなりに写っている。
 先日中古で買ったLX5と比べると遜色はあるが、それはレンズの明るさや、かなり画質を気にしてか、ズーム比が非常に小さい。さらに受光素子も大きめ。だからこれと比べてはいけないのだが、よく見ないと分からないほど。これだから高級機は困る。もっと大きな差を付けてくれないと。さらに受光素子の大きなペンタックスとか、ハーフサイズながらミラーレスなどと比べても、それほど遜色がないので不思議だ。しかし、コンパクトカメラなら、何でもよく写るというわけではない。特に安い普及機は、ノイズが凄かったりする以前に、ブレのひどい写真のようになる。手ぶれ補正にも限界があるのだろう。
 その暗い場所での試写、700ミリで四分の一秒。これはとんでもないスローシャッターだが、ここが限界のようだ。感度は3200程度までは上がっている。6400はない。これは手動設定になる。オートでは3200が上限。
 では手ぶれ補正の恩恵かというと、それもある。ぴたっと止まった瞬間に写すと、何とかなるが、打率はそれほどよくはないので、何枚か写さないと、ぶれた写真になる。この状態でも色目などは自然に出ている。何せ薄暗い場所で超望遠で、しかもスローシャッターで写すのだから、最初から無茶な話なのだ。この苛酷な試写に、このカメラは耐えた。まあ、普段はそんなな写し方はしない。夜景の方が明るかったりする。光源があるためだ。
 しかし、こういうことをやらすと、カシオが一番強かったことを覚えている。それは合成でだ。これは反則だが、かなり綺麗に写る。
 しかし、全体的には画質は普通で、良くも悪くもなく、平凡で淡泊な写り方をしている。前機より地味な写り、大人しい写り方になった。あまり誇張がないのだ。派手な色目にして、何とか凌ぐというような感じではなく、素直な画質で、悪あがきをしないようだ。
 このカメラを急に思い出して、買い直したのは、実は、そのあたりにもある。コンパクトカメラとしての普通さだ。特徴がない。平凡そのもの。カメラの写りに依存しない。また、写りは大したことがないので、気楽にその辺の物が取れるのだが、意外とこういうカメラほど構えて写すようだ。平凡な画質のため、被写体を選んだりする。
 写りは受光素子は同じでもネオ一眼の方が切れがいい。解像力カリカリの写真だ。しかし、猫の毛並みの軟らかさ、などになると、そのふんわり感が出なかったりする。ペンでカリカリ書いたような絵になりやすい。これは鮮明で凄い絵なのだが、もしそれで人の顔を写すと、大変なことになる人もいるだろう。
 解像力と階調の両立。これが理想だが、実は相反していたりする。ただ、写真加工技術が進歩しているため、内部処理で出来てしまうのかもしれない。だから似たような画質になったりする。
 ところがパナソニックのデジカメは意外とおっとりとしている。キヤノンの高級コンパクト系も、その傾向があるようで、意外と柔らかい。悪く言えば眠い。軟調なのだ。まあ、これは機種にもよるが、単に写りが甘いのか、それとも階調が豊かすぎて眠いのかは分からない。
 そして、今回のパナソニック旅カメラは、あっさりとした画質になった、ということだろうか。画素数を下げたのが原因かもしれない。毛羽立ちにくくなった。ペン画のように。
 しかし、あっさりとした画質は、水彩風で、さっと画いたようなタッチだ。これも悪くはない。テカテカのタッチとは逆で、あっさりさっぱりだ。
 
 最短撮影距離は広角端で3センチ。1センチからではない。望遠端での720ミリ側では2メートル。結構長い。ネオ一眼の1200ミリでも1メートル少しというのもある。3メートルを越すのもある。700ミリで2メートルは、少し長い気がするが、1メートル半ほどが妥当だろう。だから、超望遠接写はそれほど得意としていない。
 しかし、このカメラ、75ミリを少し越えた辺りまで3センチなのだ。広角端だけが3センチではない。この3センチの謎は、実はここにあった。これを1センチにしてしまうと、広角端だけになるだろう。
 そして、75ミリからは15センチ。それでも15センチまで寄れるのだ。150ミリで50センチ。中望遠で結構寄れる。
 それらはファインダーや液晶で確認することができ、距離と、画角が出る。
 あとは普通だが、300ミリで80センチほど。他のカメラで300ミリで60センチなどもあるが、薄暗い場所とかではピントが迷い。すぐには合わなかったりする。被写体を選ぶようだ。ところが、このカメラは暗いところでもピントは一瞬。迷わない。だから300ミリで60センチまで寄れると言っても、合う確率が悪かったりする。
 いずれにしても小さな花などを写すとき、3センチ近くまで寄った状態で、ズームできると言うことだ。これは便利だ。
 当然これはテーブルものでは重宝するだろう。広角で3センチでは小さくなる。50ミリ当たりまで持ってくれば大きくなる。3センチで。
 望遠マクロではなく、中望遠マクロに強いカメラと言うことだろう。50ミリや100ミリで、一寸引いて写せば、素直な形で写し取れる。これを改めて知ったのは、液晶に表示が出るためだ。最短撮影距離の目安だ。
 広角端だけで1センチ接写より、如何に楽かだ。その代わり1センチではなく3センチが最短撮影距離になる。これが3センチの謎だ。そういう含みがあったのだ。
 
 このカメラ、何と言ってもファインダーで撮影できるのでカメラっぽい。昔は小さなコンパクトデジカメにも小さなファインダーが付いていて、それがメインだった。背面液晶でも写せるが、小さくよく見えないことと、明るいところではさっぱりだった。
 その背面液晶の改良で、液晶でも写せるようになり、さらに大きくなったので、より写し焼くなった関係で、覗き穴式のファインダーは消えていった。これがあると、少し背が高くなるためだ。
 FZ60時代はそれが電子ファインダーとして復活したのだが、覗き穴レベルだった。それがFZ70から普通に見えるようになった。今の電子ファインダーではなく、昔の光学式の覗き穴レベルの小ささだが、光学ファインダーのようによく見えるため、ファインダーそのものを意識しなくてもよくなった。これは何かというと、見やすいとか見にくいとかではなく、ファインダーを気にしないで、ファインダーが覗けるようになった。それはすんなりと見ているだけだが。
 つまり一眼レフの光学ファインダーに変わる電子ファインダーではなく、コンパクトカメラの覗き穴から見たファインダーに変わるようなものだ。これは富士で言えばX20からX30への変化と同じかもしれない。
 つまり、この新型の電子ファインダー、あまり電子ファインダー臭くないのだ。小さいためだろう。だから、覗き穴とあまり変わらない。ただ、ピントが動くのは一応見える。
 まあ、ファインダーへの拘りではなく。カメラを顔の位置で構え、そのスタイルでシャッターを切るという、アイレベル撮影を楽しむ程度のものだ。
 ただ、面倒臭いときは背面の液晶を使っている。覗いて、じっくりと見ようと言うときは、ファインダーで覗く。その方が被写体を美味しく頂ける。液晶だけで取るにはもったいない感じがするためだろう。
 これは使い分けているようだ。気分によっても違ってくるが。
 当然の話だが、超望遠側はファインダーがないと辛い場合が多い。なくても何とか写せるのだが、草むらに隠れている猫などは液晶で当てるのはかなり難しい。しっかりとした目印があれば何とかなるが、草ばかりだと、何処にカメラを向けているのかが分からない。当然室内のような場所なら、問題はない。液晶がしっかりと見えるので。ただ、老眼なので、あまり鮮明には見えない。だからファインダーだと、もの凄く鮮明に見える。視度調整がきいているためだ。当然裸眼では見えないカメラの設定などもファインダーがしっかりと見えるので、そこでできる。背面液晶とファインダーはそっくり同じ情報だ。どちらを見てもかまわない。
 まあ、目のことだけを言えば、視度調整の付いているファインダーのあるカメラは、年寄りカメラかもしれない。
 このカメラ、ファインダーを覗くと、レンズ画角が大きく絵のように出る。まるでレンズ鏡胴のズームの輪のように、ズーム一と数値が並んで見える。それが回転する。だから、レンズ側に本来あるズームの輪が、絵になって出るのだ。だから、今何ミリで写しているのかがすぐに分かるし、先ほどの最短撮影距離も、それでしっかりと分かる。
 流石にピント位置までの距離は出ないが、これ以上寄ってもピントは合いませんよ、という最短撮影距離が出るので、これはファインダーだけの役目だけではなく、レンズの外側も見せてくれるようなものだ。実際鏡胴に刻まれている数値を読み取るには、目を細めないと無理で、これで目が疲れたりする。
 また、このカメラ、望遠鏡にもなる。当然虫眼鏡にも。これは電子ファインダーの恩恵だろう。読みにくい小さな文字なども、マクロで見ることができるので、便利だ。ついでに写せばメモになる。
 ファインダーではなく、普通の手かざしで液晶で見て写して、それを拡大して、文字を読み取る人もいそうだ。
 
 結局、このカメラ、平凡なコンパクトカメラ。広角端がしっかりと24ミリあり、28ミリと比べ、高い建物なども入りやすくなる。だから、このカメラ一台で、一応なんでもできる。そしてポケットにも入る。コンパクトカメラの理想だ。
 そして、このカメラ、あまりカメラを意識させない。デザインは大人しく、目立たない。メカメカとした感じはなく、軽々しい。重みを感じない。日常の中で使うには、その方が好ましい。
 だから、買い換えたのだが、あまり感動はない。
 

 


■■ 2016年6月5日(日) 午前7時23分
 
 今朝は久しぶりに雨。そのため、久しぶりに傘を差す感じだ。鞄を入れる前カゴのカバーが風で飛んで、ない。このカバー二つで百円なので、残りを使う。今年に入って二回買っている。結構消耗品扱いだ。破れたり風で飛んだりする。
 今朝は出がけ、鞄が熱いことに気付く。中のノートパソコンだ。スリープ状態になっているはずなのに、休んでなかったようだ。蓋を開くとシステムメンテナンスの、あれはなんといったのか、忘れたが、全部英語の真っ暗な画面だ。dvdを無効にするとか、フロッピー起動にするとか、そういった設定をやるところで、普段は使うことがないが、短縮キーで入っていける。起動した直前に。
 これがどうして出たのだろうか。何かのタイミングでスイッチが入ったのだろうか。またはパソコンが熱くなったので、出たのか、それなら熱センサーがついていることになる。とりあえずパソコンを止めないと熱が溜まる一方だ。そのまま放置しておればバッテリー切れで消えるだろうが、その画面の止め方が分からない。終了がなかったりする。
 そこで電源ボタンを押すが、反応しない。押し続ければ、リセットになるはずだが、それもできない。暴走だ。
 それで今朝はノートパソコンをあきらめ、アンドロイドタブレットのNECライフタッチノートを持ち出す。こちらはいつでも動くように、コンセントに刺しっぱなしで放置しているので、バッテリーの心配はない。
 これはもう十年近く前のタブレットかもしれない。キーボード付きの7インチだ。ノートパソコンを小さくしたような感じだ。
 さて、困ったことになったが、実際には新しいノートパソコンに頭がいっている。どうもこのノートパソコン、故障というか、思わぬことにハード的になることが多い。
 そこで、以前から気になっていたエディオンで見たマウスコンピューターのタブレットノートだ。Windows機で8インチ。カバーがキーボードになる。定価25000円。消費税を入れると3万か。まずまずだ。これなら、持ち帰られる。8インチで軽く小さい。要するにこれが欲しかったのだが、名分がない。しかし、パソコンが壊れたので、という名分が立つ。今ならチャンスだ。しかし、直っていたりするのだが。
 しかし、それよりも使いやすく、また似たような大きさ重さのアンドロイドタブレットノートを、今朝は使っているのだから、これでもいいのだ。壊れないし、エラーも一度もない。NECが頑張って作った名機だが、その後継機はない。しかし、今も動き、まだ、ネット上でではそこそこの値段で、売られていたりする。
 十年近くなるが、バッテリーの自然劣化は感じられない。すぐに充電するためだろう。バッテリーの持ち時間は、充電し忘れたときに気になる程度。毎日充電しておれば、問題はない。
 このマウスコンピューターのノートパソコンが気になるのは、軽くて小さいからだ。これはいつもノートを持ち歩くため、鞄が重い。ノートだけなら1キロほどなので、問題はないが、カメラとか、他のものを入れたとき、10インチでも大きな鉄板が入っている状態で、結構重い。これを抜けばどれだけ楽か、などと考えていた。まあ、これは持ち出すもので、鞄常駐ものなので、抜くことはないが、そのかわり、小さく軽いできれば、幸いだ。
 テキスト打ちだけならポメラもあるのだが、意外とキーボードがしんどい。10インチノート程度の長さはあるが、横ではなく、縦に短いようだ。それとたまにパチッと弾くことがある。角を押したときだ。
 しかし、NECのタブレットの方が鞄に収まりやすい。鞄の 底に平らに入ったりする。幅が狭いのだ。鞄の底が広いタイプでないと無理だが。マウスのタブレットノートはそれなりに奥行きがある。それだけキーボードの上下への幅が確保されているので、それでいいのだろうが、正方形に近かったりする。これは展示品を見ての印象で、カバーがはみ出しており、後ろも少し何かあるようだ。折り畳んでみないと分からない。
 10インチのキーボード付きアンドロイドタブレットも、以前使っていたのだが、重さは10インチノートパソコンとやはり同じで、1キロほど。それでいて日本語変換がしんどいため、やはり変換で出てこない漢字があると、いらつく。
 この10インチアンドロイドタブレットは踏んで割ってしまった。ちなみに値段的にはWindowsタブレットとの差がないのだ。それならWindowsの方がお得だ。
 小さなWindows機、昔は工人舎からいろいろと出ていた。小さくて軽いのだが、キーボードが小さすぎて、肩が凝った。高速入力はできなかった。当然文字は小さく、メニューなど読めなかった。Windowsxp時代だ。今のWindows10なら拡大できたりする。タブレットなので。
 小さなノートパソコンは喫茶店で使いやすい。テーブルをあまり取らないし、高さもないので、見晴らしが良い。
 3万円を握って買いに行ってもいい。そういうのを買った瞬間、ノートパソコンが回復していたりする。
 8インチで一太郎は辛いので、エディターをメインにするのが良いかもしれない。幸いATOKの辞書は、他のアプリ上でも簡単に使えるようになったので、問題はない。ネットはUSB方式の通信カードがあるので、それが使える。というよりWindows機でしか使えないのだが。
 なぜか、ノートパソコンがおかしくなり、喜んでいたりする。
 
■■ 2016年06月04日 土曜日 午前7時22分
 
 今朝も晴れており、気温もまずまず。暑くはなく、涼しいほど。梅雨はまだまだ先なのだろう。晴れが続いている。昼間は流石に暑いが、日陰は涼しい。毎年同じようなことを言っている。そして、昨日と同じ様なことも。さらに明日も似たようなことかもしれないが、一年中同じではない。今は暑いが来ているが、これが寒いになる。また、暖かいというのもある。
 昨日は一番暑い時間帯に、少しだけ自転車散歩に出た。すぐに戻ったが、陽の当たっているところをしばらく走っていると、やはり暑い。背中が熱くなる。それでたまに日陰に入ったりする。風があると、かなりましだ。
 遠くまで行かないで、このあと入る喫茶店近くだ。そこから少し離れた場所に有馬街道があり、それの有馬側へ向かう。これはいつもの伊丹方面なので、珍しい道ではない。いつもは通り過ぎるだけなのだが、一寸枝道に入っていった。古い民家などが残っている。農家ではなく。
 墓場もあるので、中に入った。ここは知っている場所だが、入ったことがない。まあ、墓参り者以外立ち入り禁止なので。それと村の墓ではなく、お寺さん直営の墓地のようで、かなり広く、大きい。寺と言っても、小さく、そして鉄筋三階建てのビルだ。
 村の墓場にありそうなものもある。かなり古い墓だ。またこの辺りの村墓地には形式があるようで、入り口近くに六地蔵。そしてメイン場所にお地蔵さん。これは屋根付きの小屋の中にいる。近くに水道とか、バケツがある。この六地蔵と、かなり古い地蔵菩薩。これがセットなのだ。どちらも古いが、それなりに年代差があるのだろう。最近のお地蔵さんなどとは全く違った顔立ちだ。古いほどリアルだったりする。そして個性がある。名のある仏像ではなく、ほぼ野ざらしのため、顔がなかったりする。風化だ。
 これが有馬街道沿いにある。丁度昔の有岡城の城下町が始まる手前だ。城下町から見ると外れ、境界線のような場所。その近くにひよどり塚という古墳がある。これがポツンとある。通りからは見えない。人の家の中庭の中だ。古墳は群れている。一つだけポツンとあるのは、妙だ。ここは伊丹台地の端で、有岡城時代、砦があったのだろう。古墳が少し高いので、籠城の時、ここに砦を作ったのかもしれない。有岡城塞の入り口だ。
 この有馬街道を南下すると、猪名寺に出る。さらに南下すると、もう一つ村を通過し、そのあと御園あたりに出て阪急神戸線と交差する。この有馬街道沿い、結構古墳が多い。古墳の上に神社ができていたりする。村の神社だ。
 有馬街道を北へ進むと、西国街道や、多田街道と交差するのだろう。地名だけではピンとこない。もう用事がないような地名のためだろう。いずれも旧街道沿いには古い家が少し残っている。
 江戸末期、大阪方面から伊丹へ、着物を買いに来たり、風呂に入りに来る人がいたようだ。これは勝海舟のお父さんの話に出て来る。歩くとかなり遠い。一日仕事だ。歩いている時間の方が長いかもしれない。
 まあ、江戸から歩いて大阪まで来たのだから、僅かな距離に思えるのだろうか。
 また競歩のように歩いているわけではなく、それなりにより道をしながら歩いていたかもしれない。そのため、黙々とただただ歩いているのではなく、珍しいものを見ながら、移動していたのだろうか。
 
 
■■ 2016年06月03日 金曜日 午前7時10分
 
 今朝はひんやりとしている。昨日もそうだった。そして、昼間、それほど気温は上がらず、だが、これが平年並だったらしい。しかし予測気温は26度だったが、それにはいたならなかったので、平年よりも寒かったのだろう。この時期なら涼しいとなるのだが、まだ寒いが適当だ。
 長袖のカッターシャツでいいのだが、上にジャケットを羽織る。これは喫茶店に入ると、冷房で寒いから。ただし真夏の炎天下などでは、これは無理だ。また、喫茶店の冷房も、外が暑すぎるためか、それほどでもなくなる。ただ長くは滞在できないが。
 田圃に水が入っている。田植えまでの、この時期が一番見晴らしがいい。ただの池のようなものだ。田植え後は水田。つまり、池ではなくなる。水の深さは10センチもないが底が見えないと、池だ。ただし、よくある池ではなく、高い土手がない。地面ぎりぎり。
 年老いた農夫がいつも畑に出ているのだが、水田もある。今年は水を入れていない。水田の方が重労働なのかもしれない。そして畑よりも手間がかかるのかもしれない。畑と言っても広い庭のようなもので、適当なところで、適当なコーナーを作り、何か栽培している。これは買うことができる。米を作っても、売れない。トマトやなすびなら、もいだものをすぐに売れる。反応があっていいのだろう。
 野菜の直販、これは電書の個人出版に似ている。書いたあと、すぐに電書にして、売ることができる。この売るというのは作るのと同じようなものになる。つまり、作る楽しみと売る楽しみだ。電書だと自宅にいながら、それができる。一歩も外に出なくても。
 この電書、少し昔はケータイだった。その頃は電書といっていたのかどうかは忘れたが、自分で書いたものを売ることはできなかったが、ケータイから投稿できた。所謂ケータイ小説で、これが少しヒットした。電書と言うより、テキストメールのようなものだ。
 当然メルマガで配信ということもあり、今もそれをやっている人がいるだろう。これは無料と有料に別れる。また、メールマガジンなので、そのマガジン性を活かして雑誌などを出していた人もいる。
 本屋を模した電書ストア、これはアマゾンなどだが、これを第二次電書ブームと呼んでいたのだが、最近は落ち着いたようだ。
 
 信長の野望で、少し年代を変えてやってみた。尾張の織田家でやると忙しい。そこで、紀州雑賀城の鈴木家をやる。これはよくやっている。鈴木家でやるとのんびりとしているのは、周囲の敵が弱いためだろう。細川家という大きな勢力があるのだが、弱っているのか、城数が多いわりには、覇気がない。もう隣国に攻め込む気がないのか、静かだ。
 鈴木家をやっていると、畿内は丸見えで、そこでの戦いも同時に見ることができる。畿内よりも尾張が賑やかで、ここの戦いが多い。
 織田家はどうなるのかと見ていると、毎回展開が違うが、結局は亡びる。今川に取られるか、斉藤に従属するか、取られるか、または松平に取られたりする。これは弱いからではなく、周辺の敵が強いからだ。また多いためだろう。だから、織田家でやると忙しい。他国に攻められながら、別の国を攻めるという、忙しいことをしないと、いけない。
 今回の鈴木家は中央部と関わらないで、西へ進むことにした。しかし、戦力がないと、何もできないので、和泉、大和を取る。その北は大阪で、摂津がある。ここも取りたかったのだが、本願寺が賢明に有岡城を攻め、落としてしまった。畿内での城は一つだが、城が大きく、兵も多い。本願寺が動くのは珍しい。雑賀とは同盟関係にあるので、摂津は本願寺に任せることにする。場合によっては、本願寺が畿内を占領してもいいのだ。敵は東から来る。それが斉藤か今川かは分からないが、大軍で来る。鈴木家がそこを取ると、防御で忙しい。それで、本願寺を盾にすることにした。本願寺が戦っているとき、そっと援軍を送って、敵を弱らせたりする。本願寺だけでは攻めきれない城をそっと手伝う。
 西は摂津から西、山陽道は弱い。姫路まで一気に来てしまい、岡山を落とす。そこにまだ細川の城があるが、これは弱い。怖いのはその先に毛利がいることだ。
 四国は細川の天下だが、長宗我部が伸びてきている。しかし、まだ勢力は弱い。そこを一気に取りに行く。その兵は、紀州、和泉、大和、伊勢志摩、そして丹波や播磨の兵まで動員できるので、四国は簡単だ。これができるのは、中央部と関わらないためだ。斉藤などと国境を接していると、そうはいかない。
 つまり、中央部の政権争いに加わらず、地道に地方を抑えていく感じだ。北は丹波から日本海に抜け、琵琶湖の上に出るコースを選ぶ。琵琶湖の上は朝倉がおり、これは強い。この朝倉が朝井領を通って、尾張にまで攻めてくる。だから、中央部を押さえるには、この朝倉になればいいのだ。つまり、尾張を遠巻きに囲む。それだけ動員兵力が多くなる。
 大合戦になったとき、兵力が減る。そんなとき、遠方から援軍を送れる。地方を抑えていると、それが可能だ。
 今回は、織田家を倒したのは斉藤家で、美濃、尾張を領することになるのだが、それ以上増えない。東にまだ今川がおり、これがしつこく京を目指している。つまり、このゲームの中原は尾張だ。ここが一番戦いが多く、毎回尾張を取っている勢力が違う。織田家は亡びる。
 まあ、よく考えれば、「信長の野望」というゲームなので、そう言うことかもしれない。ただ、織田家以外ですると、信長も、家康も、別の勢力の家来になる。立ち上がりの勢力が小さいのと、周囲に敵が多いためだ。
 当然だが、桶狭間は起こらない。だから今川か斉藤が尾張を取る。
 
 
■■ 2016年06月02日 木曜日 午前7時09分
 
 今朝はひんやりとしている。昼間も平年並らしい。26度。これが平年並かと、改めて知る。気温予想では平年が出ない。前日よりも暑いか寒いか程度で、これは2度ほど違うと、数字の色が違うようだ。これはNHKの天気予報だ。
 平年より暑いとか、寒いとかになると、ずっと暑い日は、ずっとその色ばかりになる。これでは変化が分からない。やはり前日よりも暑いか寒いかのほうが変化がある。平年よりも暑い気温が続いていても、その中でも変化がある。
 この涼しさは北の方に寒気があるためらしい。そのため夏の湿った空気ではなく、冬の乾燥した空気が流れ込んできているのだろう。やはりまだホームゴタツが必要で、真冬の掛け布団も必要だ。6月7月8月は夏。夏のスタート月なのに、まだホームゴタツがいる。このあとまだいるのは梅雨がまだ来ていないためだ。この梅雨時、意外と寒い日がある。
 しかし、この時期最高気温が26度なら、十分自転車散歩ができる気温だ。しかし、すぐに28度とか30度近く行ってしまい、晴れた日は暑い。だから、今年は暑いのだろう。
 数年前の酷暑の夏の再来だと、困ったことになる。扇風機だけでは何ともならない熱気が部屋を満たしていた。カーテンを閉めると風が入ってこないが、開けると熱風が入ってくる。頭がくらっとするほどの熱だったが、あれは滅多にない。あっても一日か二日。それが連日続いた。そういう夏が、またやって来るのかもしれない。今年は暑いようなので。
 しかし5月あたり、飛ばしすぎたので、暑さも疲れており、減速するかもしれない。
 
 先日上新で見たキヤノンのコンパクトカメラが気になる。このタイプの一号目、初代を以前エディオンで買っている。これは衝動買いだ。1万円台。
 キヤノンのコンパクトカメラ、小さいタイプはイクシだが、そちらではない。高倍率ズーム機だが、豆タンクのように小さい。それでいてT字型の一眼レフ風。これはポケットに入らないし、鞄に入れたときも、邪魔で仕方がないだろう。だからフラットなカード型、薄型がコンパクトカメラの場合、好まれる。しかし、敢えて、ネオ一眼のようにしたのはなぜか。そのタイプの高倍率コンパクト機はキヤノンもカード型を出している。だから、こちらを選ぶのではないかと思えるのだが、どうもそうではなく、これは海外向けカメラをそのまま日本で売っているようだ。系譜が全く違うのだ。パワーショット系とは。しかし、パワーショット系として売られている。
 ボディーだけ見ると、普通のコンパクト系で、普通のカード型で非常に小さい。そこにレンズが飛び出している。これは引っ込めることができるはず。
 このシリーズ、パワーショットシリーズらしいのも出ていたのだが、最新機になると、また海外向けのような、ヌボッとしたスタイルに戻っている。キヤノン風の時は重く、大きい。だから、電子ファインダーの付いていないネオ一眼風で、これはよくある。
 さて、その初代をエディオンで衝動買いしたのだが、しばらくして使わなくなった。マクロが弱いためだ。しかし最短撮影距離は0センチ。これほど短いカメラはない。だが、中間がだめなのだ。広角端だけで、0センチまで寄ることはないが、数十センチ程の距離で、望遠側へズームすると、すぐに範囲外になる。
 だから、少しだけ離れたところから花などを写そうと、少しだけズームすると、もう合わなくなる。ところが、上新で、このカメラの最新機を試すと、結構寄れるようになっていた。広角で寄れて当たり前。珍しくも何もない。しかし、中望遠辺りまでそれなりの距離で寄れるとありがたい。これはスペックにはない。曖昧なためだ。
 それで、マクロ接写倍率を見ると、広角端より、望遠側の方が倍率が高くなる。それもかなり差がある。このカメラ望遠端が1000ミリあるので、流石にそのときは1メートル半ほどになるが、中間でかなり寄れる。広角端は24ミリで、0センチまで寄れる。これはマクロカメラではないかと思うほどだ。
 このカメラ、売りはグリップで、グリップ撮影ができるとなっている。レンズの飛び出しが大きいので、こちらも飛び出したグリップを、遠慮なく作れる。だからグリップカメラとして売られている。
 重さは300グラム少しと、少し初代より重くなっているが、これはレンズの重さだ。レンズ側に比重がある。そのため、グリップを突きだして、レンズの中程を持つ感じになり、バランスがいい。小指がはみ出すほど小さいのだが、手の平に入る小ささだ。だから豆タンクのように見える。タンクとは戦車のことだ。これは玩具のタンクで、糸巻きと割り箸と輪ゴムですぐにできる戦車で、実際に動く。糸巻きの縁をナイフで刻めば、ブロックタイヤになり、坂道も登りやすくなる。これに似ているのだ。
 この時代、受光素子がCCDというのも海外向け臭い。それに液晶の解像力が二十年前の24万画素あたり。これもキヤノンの最新デジカメとしては有り得ないようなスペックなので、やはり海外向けだろう。国内では売れないはずだが、試しに売ってみたという感じだ。これは国内普及タイプコンパクトカメラ市場が壊滅状態のためかもしれない。だから、輸出用に作ったものを、流用したのではないかと思える。
 そのためか、ヌボッとしており、撮影ダイヤルも何もない。軍艦部に大きな電源ボタンとシャッターボタンとズームレバーがあるだけ。
 キヤノンお得意のズームを戻すボタンもない。つまり、いつもの旅カメラのスペックからの恩恵は何もない。撮影モードは、背面のボタンを押せば、入れ替わる。押し続ければ他のモードへ飛び、離すと、そのモードに入る。だから、オートモードとプログラムモードの切り替えだけでいい。それがボタン一つでできる。
 当然キャノンからもネオ一眼は出ている。しかし手の平には入らない。ネオ一眼は一眼レフを模しているが、昨日見たカメラは、もう模しておらず、ただ単に小さい。模しているとすればグリップだ。これが効いている。グリップの先にシャッターボタン。これが使いやすい。
 このカメラ、以前同じ上新で、老人が触っていた。それを思い出した。そのカメラはサランラップで包まれ、元箱の上に飾られていた。新製品が出たためだ。その違いは殆どないのだが、例の中間でのマクロは、新製品側で確かめることができた。旧製品もそうだったのかどうかは分からない。触ったことは何度もあるが、印象に残らなかった。新製品は広角端だけではなく、中望遠側でも結構寄れるので、驚いたほどだ。その横にあるキヤノンの最高級旅カメラでも試したが、そこまで寄れなかった。
 これは自転車に乗ったまま花などを撮るとき、離れすぎていれば超望遠の距離でも行けるが、1メートル先とか、50センチ先とかになると、中望遠の最短撮影距離が問題になる。ここはオリンパスが強かったりする。
 要するにこのカメラ、日常のざっとしたものを、適当に写すには丁度いいのだ。だから液晶の解像力が悪くても、裸眼ならどうせよく見えないし、昼間では解像力が高くても、反射したり薄くなってしまうので、これもまた、よく見えないのだ。
 手かざしで、手を突き出して写すとき、グリップがあると、シャッターボタンへの指のかかりがいいし、人差し指も楽だ。当然片手で写せる。カメラを構えるという感じではなく、パンチを繰り出すような感じだ。拳がカメラになる。手かざしなので、最初からジャブを伸ばした状態だが。まあ、この手かざしで、自転車の上から適当に写すのがよかったりする。これは撮影そのものを楽しむような写し方ではないが。
 しかし、カメラが小さく、しかも軽いので、これで1000ミリあるのだから、初心者向けではなく、プロ向けだ。ただ、カード型のフラットなカメラよりも、ブレにくいだろう。グリップが効いている。そして戦闘的だ。
 これは、初代からの買い直しになる。
 ヌボッとしており、メカメカと  したところはレンズだけ。ダイヤルもボタンも最小限、これはインドから東南アジア市場では、こういうのが好まれるのだろう。ヨーロッパやアメリカ向けにしては小さすぎて、手の大きい人には受けないと思う。子供ならいいが。
 つまりドイツ系の頭ではなく、南方の頭だ。
 押せば写ります。それが一番なのだろう。難しそうなボタンやダイヤルが並んでいると、だめな人もいる。
 それらを理解している人でも、一度も使ったことがなかったりする。
 

■■ 2016年06月01日 水曜日 午前7時07分
 
 今朝は少し涼しい。昼間も暑くならないようだ。雲が多く、晴れ度は低い。雨の気配はありそうでない。なさそうであったりもするのだが、天気予報では晴れとなっている。晴れていて暑くないというのは自転車散歩には、この時期いいのだが、空の天気はいけても、気持ちの天気も問題だ。
 少し未知なる大陸へ行ってみようというのは、大きい目の気宇がなければ、無理だろう。ただ、これは放浪癖とか、そっち方面もある。見た目は冒険家でも、ただの徘徊だったりする。
 鼠が餌を求めて群れで海を渡るという話がある。気宇壮大ではなく、差し迫ったためだろう。これは一匹では無理で、団体で泳がないといけないらしい。昔の人はそれを魚の群れだと思ったとか。柳田国男の本に出てくる。
 ノルマンディー上陸作戦のように、浜辺に上陸したのに、そこで叩き殺されたとか。鼠の被害というのはひどかったらしい。 昨日はイタチを見た。結構大きい。車道を渡っていたが、のろい。スピードがない。年寄りのイタチかもしれない。たまに車道にイタチが毛皮だけになっていることがある。このイタチ、畑のあるところから、渡ってきたので、そちらに用事があったのだろうか。イタチは床下にいるものだと思っていたのだが、そこだけでは餌がないのかもしれない。
 田圃にはモグラがいる。滅多に姿は見せないが、巣の穴がある。
 
 昨日はカメラのキタムラ定期巡回で、中古カメラを見に行く。巡回と言っても一軒だけだ。近くで中古カメラを扱っている場所は、ネットで調べれば分かる。家電の中古を扱っている店なら、ある。古着屋でも、家電を扱う大型チェーン店がある。昔は質屋でも売られていた。流れた品をそのまま晒し首にしていたのだろう。
 キタムラの中古だが、この店の中古在庫はネットでも実は見ることができる。更新しているのだが、リアルの方が早かったりする。全国のキタムラにある中古一覧がネット上にあるのだから、凄い話だ。歩いて見回ることもない。
 しかし、リアル店舗の方が、一瞬で分かる。並び方が違うためだ。新しい中古というわけではないが、古いのだが、新入荷の中古が割り込んでいる。
 ずっと売れないのは富士のX100T。8万円。これは新品で買ったほうがよかったりするほど、値が落ちない。X100の初代は5万円代。これはこのキタムラで以前置いてあったが、いつに間にか消えている。一年以上はあったような気がするが。
 そのX100T、最初、誰がレンズシャッター時代の嵩の高いカメラを売ったのかと思うほど、懐かしいデザインをしている。最初見たとき、キヤノン7という、コピーライカではないかと思ったほど。8000円だと思っていたら、8万円。意外と富士のX100系は、安いカメラのように見られたりする。フィルム時代の大きなコンパクトカメラのように見えてしまうためだろう。
 このカメラ、もう現役機はなく、製造中止し、富士もまったく相手にしない機種になっていたら、4万円を切り、3万円を切る値段になるだろう。昔エプソンが作ったデジカメも並んでいた。これは昔、買っている。かなり大きい。まだ35万画素時代だったと思える。この35万画素程度でも、実用性があり、ある編集者が、簡単な写真なら、それで写し、雑誌に掲載していた。カメラマンではない。雑誌と言っても、切手ぐらいの大きさの写真を添える程度で、印刷も点々が見えるほど粗いので、35万画素でも十分だったのかもしれない。
 ミノルタの最後のデジタル一眼レフαスイートのダブルズームキットが17000円で、まだ並んでいる。ぎりぎりセーフの中古で、これ以上悪いと現状品渡しということになる。安くていいのだが、重い。昔は軽くて小さいということで、ママさんをモデルにした広告を打っていたのだろう。今、その重さを見ると、かなり重い。といっても1キロはないが。このカメラは、元箱付きで、全部入っているが、バッテリーの自然劣化が心配だし、記録用のカードが、もう殆ど売られていない。SDカードではないのだ。
 ペンタックスのS1がレンズ付きで28000円ほど。これはコンパクトカメラを買うよりも得だろう。光学式ファインダーで大きい。これは、つい最近のカメラなので、入門用には丁度だろう。
 製造中止になったパナソニックの1インチネオ一眼は6万円。ゴールデンウイークの時、5万円代だったのだが、上がっているのではなく、期間限定特価だったようだ。だから、相場に戻った。6万円だ。これをソニーで似たようなのを買うと、10万円を超える。
 これは展示品特価ではなく、在庫ありとあるので、奥に在庫の箱があるのだろう。
 昨日もその展示品を触る。ぼてぼての張りぼてのようなカメラだが、持つと意外と軽い。指でそっと挟んで持ち上げることができる。そして、ズシリと重いという感じがしないのは、嵩が高いためだろう。しかし、ものすごい口径のレンズが付いている。鏡胴も太い。しかし、鏡胴のズームは電動なので、回す力がいらない。また、コンパクトカメラの親方のようなカメラなので、シャッターボタンの近くにズームレバーがあり、これが楽だ。
 このカメラ、ネオ一眼が余程好き、コンパクトカメラが余程好きな人は買いだろう。買いごたえのある大きさのためだ。先ほど見たミノルタの一眼レフよりも、当然大きい。しかし全て込みで800グラム。これで25から400ミリまである。一眼レフと違い、最短撮影距離が短い。
 ファインダーは電子式なので、当然明るい。暗い場所でも、照明を当てたように明るい。写したときの露出が反映されているためだ。そして解像力は流石に高い。こちらが持っている同じパナソニックの一眼レフよりもファインダーは大きく、そして鮮明で、細かい。
 このカメラ、本当にお得なのだが、何か中判カメラを持ち歩いているような気になるだろう。しかし、パナソニックスの一眼レフスタイルのカメラに28から280辺りの標準ズームを付ければ700グラムほどになるので、重さでは似たようなものだ。それで25から400で、レンズも明るいので、本当にお得だ。さらに他社の1インチものよりも、はるかに安い。
 なぜこれが製造中止になったのかは分からない。お得なので、売れるはずなのだが。
 しかし、出てしばらく立つので、新製品が出るのかもしれない。値段的にがくんと落ちているのは、そのせいかもしれないが、新製品はさらにズーム比を伸ばしてくると、さらに重く大きくなる。
 さて、中古だが、オリンパスのOMデジタルが二機種出ていたのだが、消えていた。人気があるのだろうか。まあ、見た感じ小さく軽そうで、横に並んでいるイオスなどに比べ、気楽に買えそうな気がするのだろうか。オリンパスの一眼レフは小さいのだが、ズシリと手に来る。これは見た目が小さいためかもしれない。
 今回も印象に残ったのはパナソニックの1インチネオ一眼。明るいナショナルで、カメラのイメージが明るい。
 
 


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