川崎フォトエッセイ  その4  食堂    ←前 次→    ホーム


 今はもう見かけなくなったが「めし」と大きな文字で書かれた看板が、どーんと出ている食堂があった。

 今でも「ご飯を食べに行く」と言うように、食事とは「米のご飯」を指していたのだが、ご飯を目当てに行く人は少ない。つまり、何らかの料理を食べに行くことに変わってしまった。

 めし屋で先ず注文するのは、ご飯である。関西では大中小から選択する。実際には、これだけを注文し、これだけを食べて帰ってもいいわけだ。沢庵とお茶ぐらいはついてくる。

 この種の基本的な道(笑)を実行しにくいのが今の世の中だ。

 うどん屋で、「うどんください」と、注文しても、「なにうどんですか?」と、素直に、すうどんを出してくれない世の中になってしまった。

 特にチェーン店や、おしゃれな店では、このベースが疎かにされている。しかし、昔からあるような(何の特徴もない普通の)食堂では「うどん」と言えば、こなれたオバサンが、それ以上聞き返さないで素直に「すうどん」を出してくれる。

 メニューがバラエティーで、ユニークなものが並んでいるのは、悪くはないが、ベースが見なくなった店は最悪だ。

 僕は応用問題が見えない人間である。少し捻られると、何も見えない。何も聞こえない。

 そういう僕もご飯を食べるために、仕事をしているわけではない。支出の中で占める「めし代」はほんの僅かだ。

 ご飯のことを、「まま」と呼ぶが、ままを食べるためではなく「我がまま」を食べる時代になったようだ。