古い商店街などには、マイナーな立て看板が残っている。それが出来たときは、きっと最先端をいくモダンな看板だったはずだ。
人はいくら歳をとっても同じ時代に生きている。いくら古いタイプの人間でも、マイナーすぎる環境にいる人間でも、確実に今の波をモロに受けている。
ところが、看板という物は、作られた時点で止まってしまう。建物なら、それなりに補修の機会があり、板塀の一部が新建材の樹脂製になったりするものだが、看板はそのままだ。
当時の雰囲気のようなものが伝わってくると同時に、そのズレを感じてしまう。例えば二十年前の看板なら、二十年のズレを体験できるのだが、たいていの場合、周囲に同じ時代のものが残っているので、それほどのワープ感はない。
各時代の痕跡が点在している街は、落ち着く。