ターミナル付近の通路は、迷路のように入り組んでいる。そこを行き交う人々の流れは、実に明快である。生活臭のしない通路、そこはただ通過するだけの空間になる。
町内の路地では、おおよそ何処の誰かが判明するが、都会ではほとんどが始めて見る顔ばかりである。顔見知りと遭遇することは、ほとんどない。
相手もこちらのことは知らない。それでもおおよその察しはつく。例えば背広とネクタイなら、サラリーマンだろうと、単純に想像できる。
さらに見知らぬ人でも、どこか見知ったところがある。そのどこかは、似たような人を知っているためだろう。同じような顔をし、同じような体格なら、同じような人間ではないかと想像してしまうわけだ。
つまり、自分の中に雛形があり、おおよその輪郭をつかむのだ。これは単に経験から出た情報で、間違いも多いが、そういう目安がないと、目が安心しない。