川崎フォトエッセイ  その16  マンホール    ←前 次→  ホーム


 僕らは路上を歩いているけど、道路の下にも通路がある。でもその通路は、人が通れないほど狭い土管とかである。それでも、そんな空間があることを普段忘れている。

 通れない場所や、行けない場所は、ないものとしてみている。しかし確実にその空間は存在するのである。

 僕らは屋根裏を散歩しないが、イタチやネズミや猫は、日常的な空間として把握しているはずだ。

 人間も、同じ町内に住んでいても、マップが異なるようだ。つまりその人の行動範囲のマップがあり、他の人と重なる箇所も多いが、重なっていても、意味が違ってくる。

 僕にとっては部屋から喫茶店へ行くだけの小道でも、ある人にとっては会社へ向かうバス停までの小道になる。

 また、その人も、同じ小道が、時や状況によっては違ってくる。当然、その日の気分によっても違ってくるのだ。