神社でよく見かける狛犬だが、神社以外の場所で見ると「何だろうこれ」と、あらためて観察してしまう。
それは、ちょうど使い慣れた言葉を何度も繰り返して発音するうちに「本当にこの言葉だったのかなあ」と、その言葉を疑うのと似ている。
書き慣れた漢字でも、拡大して書くと、書き方を忘れたりする。これもじっくり見つめると、疑わしく感じてしまう。
日常の中に溶け込んでいる物体は、それが独立した物でも、その景観と一繋ぎの物として認識するようだ。
それほど日常の物体(見慣れた風景)は、日常の中では、意識的に見ないわけで、意識してしまうと、余計な現実が飛び出してしまう。
そしてそれぞれの物体は、それぞれに謎めいており、解き明かせるものではない。少し不安だが、現実はそんな感じでできあがっているのかも。